余波―その1
話題の深まりを求めている自分がいる風景
11月9日のイベント「Turning Pointに差し掛かったデザイン・建築・環境について語り合おう」については、登壇者や参加者から意見を頂いているが、手続きなどですぐには紹介出来ない。
以下のコメントはご本人の承諾を得たので、転載するが…難しいテーマだった。
今、再編集をしていて、「誰にも判る」ようにしたいと思っている。
憶えていて下さったら、取りあえず、2か月後には(!)NPO日本デザイン協会のホーム・ページを検索して頂きたい。つまり、デザイン界の本質的な問題なので、わずかな時間のロスなど、問題にならないのだ、と言いたい。
連絡をくださったのは、日大大学院教授の湯本長伯先生。
勝手な言い方で失礼かもしれないが、感心したのは「無謀」という言い方が、まさしく意に的中していることだ。
これは他の方からも言われていて、知らないでやったわけではない。
嬉しいことに「責任感でしょうか?」と。これも我が意を的中している。
ともかくも、頂いた親切なメールだった。後からお礼のメールを差し上げたので、それも、その後に続けて転載する。
………
大倉様、昨日は有難うございました。とても面白かったですし、こうした研究会を開
かれた勇気と責任感に、深い敬意を表します。
「曲がり角の日本デザインを考える」といったテーマ!広過ぎるし、絞れないと何の
議論か分からなくなる点、無謀?ではありますが、とても面白かったです。やはり責
任感でしょうか?
当日は風邪のため声が出ず、コメントを回避したことが失礼というか、無責任にも思
えましたので、大倉さんにメールしておきたいと思いました。
長くなってしまいましたので、個人メール宛てに送らせて戴きます。
私は20歳から一貫して『設計方法論』を専門研究し、実際の設計においてもデザイン
の後でも良いから理屈の航跡を引こうとして来ましたので、日本のデザインが置かれ
た共通の課題として、凄く興味を抱いた次第です。
最低3点、コメントさせて下さい。
その1)新国立競技場を例に挙げたことは良かったと思います。結果としては、日本
全体でデザインに関する不信が渦巻いている訳で、早急に何とかせねばなりません。
私は新国立競技場も、最初に意思決定プロセスをちゃんとデザインしておけば、2020
年に五輪が来ても来なくても、もう少し何とかなったのでは?と思います。その背景
にあるのが、私の持論でもありますが、やはり『デザインはモノ・コト・空間の3相
を切り離してはいけない』のでは?ということです。デザインの対象としてモノ・コ
ト・空間があり、IDではモノ、インテリアでは空間とモノ、建築では基本的に空間
を主にしているような気もしますが、例えばGKさんでもモノを対称にデザインして
いても、実際にはそれを使う人の人体だけでなく、その人との関係や使い方、さらに
社会との関係や仕組みまでデザインしていると思います。つまり「新国立競技場」と
いうモノ、空間、建築、という見えるものだけでなく、建設するという『コト』も一
緒に設計しなくてはいけない訳で、その順番から言えば『コト』のデザインという入
り口から入るべきだったと思います。
その2)次に専門家とは何か?という問いも面白かったです。素人とどう違うか?と
いう問いも難しくなっています。九大では結局間に合いませんでしたが、専門化が進
み過ぎ、誰もが自分の専門と違うと言い出して、結局は専門家不在の時代になってい
るのです。勿論、「新国立競技場」建設問題の専門家など存在しません。専門の在り
方を、研究・教育の専門化に対応させて横断化のファクターを入れるという体制の切
替で、少しは変えられると思いますし、大学が変われば少しは何とかなるはずとも思
います。私自身も建築分野の中で、最初から横断的なテーマを選択したので、色々な
ことが分かるような気がしています。
長くなりました。最後に、デザインや発明などの知的生産を『有料』と考えない風潮
は、江戸の幕藩体制まで溯ると思います。幕府は幕藩体制の崩壊を恐れて、『新規ご
法度』という命令を出しました。湯本は、最高裁の知的財産専門委員として12年の経
験からも、早く「知的生産」を優先する、あるいは尊いものとする風潮を作らない
と、国際社会から取り残されると思います。
今とても大切なテーマに挑戦して戴き、心から感謝申し上げます。
nagyumt@kyudai.jp
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湯本長伯 日本大学大学院・工学研究科建築学専攻・教授
yumoto@arch.ce.nihon-u.ac.jp T&F024-956-8749 HP080-4273-9972
963-8642 郡山市田村町徳定中河原1番地 日本大学工学部9号館311
最高裁知的財産専門委員 神戸大学客員教授 九州・大学開物成務塾長
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湯本長伯先生 20151113
早速、長文のコメントを頂き、ありがとうございました。
また、このような「無謀」な企画にご参加下さり、感謝しております。
問題が拡散しすぎるということは承知でした。このため事前打ち合わせを行い、進行メモも作ってあったのですが、セミナーのようになるため、発言の自由さとそこからの発想を求める登壇者たちの意見を尊重することになりました。
仰るように、デザインを「モノ・コト・空間」を繋げて語るべきだということに異存は有りません。
新国立競技場の場合も、設計条件の曖昧さ、選定方法や組織の曖昧さ、関わる人間の身勝手さなど、どれを取っても「コト」であり、これを問題にするはずでした。「目利き」がいないという感想も、ここから出ているのですが、「設計方法論」追及が主題でなかったためか、この観点からの主張がぼけました。
専門家の問題も、まさしく現代喫緊の問題ですが、実体的な専門分化の方向と、IOTなどから感知されている理念としての専門統合の必然性が整理されていない(政策や組織に反映されていない)と感じられます。横断的なテーマを選択されてきたことは慧眼ですが、その分、生みの苦しみを味わっていられることと思います。
最後の知的生産の経済効果軽視(有料と考えない風潮)も、私が長らく苦しんできた課題と一になっており、明確な問題意識を持って取り組んでいられる先生のような方もいるのだと判り、救われる気持ちです。
明治になる前に、和算や土地測量、農業生産力の向上などで「新規発想と採用」が無かったとは思いたくないのですが、確かに「新規ご法度」は何らかのブレーキになっていたことは推定されます。
江戸時代の規制や習慣が十分検証されないまま現代の日本社会を創っていることは、それが明治維新の持つ問題に乗り換えられていることと併せて、いまだに「今後の課題」とは悲しいことです。
専門の研究者集団が歴史を検証し国に報告、行政ルールや法規制を変えていくことが必要だと思います。この国では今でも、知の既得権益に慣れた官僚の企画書を、カネしか関心のない幼い政治家たちが諾々と認めルール化していますが、ここには文化力を経済化する視点がどこにもありません。一方で、上からの法制化がなければ何も変えられない国民性ですから、何としても知的集団(と言ってもご承知の通り、科学者や既存の経済学者集団ではありません)がパワーを持つ仕組みを創らなければなりません。先生の益々のご努力に期待するところです。
この辺りの問題にまで逢着したかったのですが、時間が足りませんでした。
最後に二つ、ご相談があります。
先生のメールを私のブログに転載させて頂いてもよろしいでしょうか。そしてこの返信をつけても?
もう一つは、神田先生始め、登壇者の皆さんに送っても良いでしょうか。
二次会で、また来年もやろう、とのことでしたが、実務的にはなかなか大変です。努力は続けるつもりですので、どうぞ、今後ともご支援のほどよろしくお願い申し上げます。
大倉冨美雄
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