しゃべりの気軽さと考えるる言葉の軽視

【日記】


人々は言葉を使わなくなったのではなく、カネを払い、時間を使う印刷物としての言葉、つまり読んで自分の脳裏で考え、判断する言葉を見なくなったのだ。
この辺の判断を深める必要がある。


言葉はますます多様化している。
ネットでのかなり無責任な軽い言葉を考えれば、むしろ当然だろう。
最近、教えられたのがコピーや転記・転載が簡単になったため、自分の原稿でさえも気が付くと、どんどん書き換え、引用に使われているということ。
実際、このブログで、気ままにそれをやって忘れてしまい、後になって変だ、もうどこかで言ったことだと自分でも混乱した例が出ている。

2013年7月20日 「わからないセザンヌ」を読み返してみると、何かもっと書いていたんじゃないかという気がしてきて、おかしいなと思っていたが、実は1年以上も前にそれの原文になる原稿が掲載されていたことが判った。2012年4月28日 の同じタイトル「わからないセザンヌ」だった。
これはやはり問題だ。



ついでに: 2010/7/1:「4億年後、5億年後には地球は消滅する」