土着の生命への哀愁

リナ・ボ・バルディへの郷愁が示す「恐ろしさ」


タイトルを忘れたが昔、学生時代にみたインド映画は忘れられない。
ほとんど裸の生活の廻りに何もない。藁屋根の先に降り注ぐ雨が止まない。そんな残像しかないが。
その後、カジュラホーの寺院に見た自由な性愛の姿に圧倒されたりした。
最近、ムンバイ(インド)の建築家グループの仕事が紹介され、暑い国への郷愁が盛り返した。あの解放され、あまりにも自然に近い空間。科学技術や精度などを問題ともしないような台地の造形などがそれだ。
そこに今、展覧会をやっているのがブラジルの女性建築家「リナ・ボ・バルディ」(1914〜1992)で、これを見て、また郷愁が襲ってきた。それは一段と「怖いもの」になっている。もちろん自分に取って「怖い」のである。
彼女の仕事は少ない。大きいのがサンパウロ美術館とポンペイアの文化センターくらい。最初に実現した自宅「ガラスの家」といくつかの家具ですべての彼女の感性がつかめる。案内チラシにある「ガラスの家」についての彼女の言葉を転記しよう。
「そこでのねらいは住宅を自然の中に置くことでした。建物に対するありがちな『保護』をいろいろ考えることはせず、あえて『危険』に晒すということでした」。


人間の存在なんて単純だ。泣いて笑って転げて食べる。体調がおかしくなったらそこでおしまい。
いつもその辺に戻ればいいと思っていれば、食えなくならない限り何の問題もない。特に熱帯、亜熱帯地方では。この感覚でなければ生きれないのではと思うのが、最近の避難民の窮乏生活ぶりだ。それは中近東国家の事でもあるが、私はここではブラジルやインドやインドネシアの場合でも同じだろうと考えている。

日本人はこんなことではとても生きれなくなっている。しかし本当にそうか。いろいろな手当や給付があるとの思い込みがあるが、実際には仕事をくれる人が居たり手に職を持っていなければ、何か仕事があると思っていても明日は路頭に迷う。そんな予感から生活のために学ばねばならず、頭を下げなければならない。そこであらゆることが面倒なことになる。「生存資格留保条件」に沿って生かされている。


リナ・ボ・バルディに見た建築家の精神が見せる「怖さ」は、もし一般化して言えるなら、ここにあるブラジルやインドのように暑い地方に生きる人種のメンタルと日本人の持つメンタルの落差ではないだろうかと思うからだ。
1938年にリナは夫とイタリアからブラジルに移住したが、戦後の荒廃下にあったとはいえ、彼女自身この移住だけでも落差を感じたようだから、日本人には本質的に理解など不可能と思った方がよさそうだ。それを知らずに渡った移民は「知らぬが仏だった」と考えるしかない。
なぜ「怖い」のか。リナのした仕事や生きざまは、私には憧れである。すべてを投げ打って生きれば可能かもしれない。それを許さないのはこの日本という国で、生きるための知恵のようなものに完全に縛られてしまったからだ。許さないものが何であるかはわかっているし、それを懲らしめようとしてあがいてきたが、この国はそんなことを許しはしなかった。それは自分の弱さか。結局、この国にいる以上、言うことを聞かないわけにはいかなかったということだ。それで今さら隙間みた郷愁に戻れるというのか。


郷愁と言うのは、彼女自身の率直な直感を形にする姿、またそれをよしとする作品主義の建築家観、彼女自身が簡単に口にする「政治の問題になる…」という言葉などを聞いてのことだ。
今、日本でやらなければならないことはこんなことではない。いくら郷愁があろうとも。それを引き寄せる手立てを考えて実行するのでなければ意味がない。私の心はそう叫んでいる。
ワタリウム美術館:3月27日まで)