今の気持ちはこれだ

「馬鹿にするな」という気持ちは動かしようが無い。


今の気持ちは本来、このブログで書くべきことではないのかもしれない。
というと、やっぱり流れの判るように話しかけた言論の書にまとめるしかないのかも。
しかし今、出先で 何か言おうとしたら、ここにメモっておくしかない。


意のある人間なら、それぞれに思い切り生きて来た記憶があり、それを変えようとは思いもしないだろうし、変えられもしない。それでも、そこから何とかしなければならない現実がある。
自分について言えば、これだけ夢中で何かを変えようとしてきたことが今、人生のあるケルン(峠)に差し掛かって、その限界が見えてきた事が実感され始め、それだけに今後の開拓の方法が分からない苦渋にぶつかっている。

それが何かと言えば、「解体したとも言える美術の世界」から、この社会を変えようとする無茶振りとでも言おうか。


出自が絵心少年で、情報も限られた世界で成長してきたのであれば、ここまでやって来て、この国で必要な武器が不足しているのは明らかである。それは下品な言い方とか、価値観と取られるのを覚悟で言えば、経済力と人脈である。
「そんなこと当たり前だろう、皆、それで苦労して来たのだから」という人がいれば反論はしない。まさに今のこの国の主流は、個人の資質を見るのでなく、経済力と人脈しか意識していないからだ。つまり、それを重要と意識するのでなく、いい仕事をしていれば経済力も人脈も付くと思ってがんばってきたことが、期待するほどの大きな成果を産まない原因になっているということだ。
ここまで来て見渡せば、如何に周辺がカネとコネで動いているかがわかって来た。カネが無く、素性も大したことが無ければ、多くの真面目なだけのクリエイティブ行為は無為に終わる。今の社会で評価されなくてもいいと覚悟の決まっている者は別だ。こちらは「だから、これでいいんだ」というほどの哲人ではない。どうせなら、今の時代で転覆してやりたいではないか。


これにもう一つ加えなければならないのは、「デジタル力」とでも言える価値観の主流化への対応である。すべてのデータ化とそれによる損得判断により、カネもコネもこれに絡んでいる。地面を這いつくばってエサを求めるような手仕事的表現行為は、明らかにデジタル力の方向へのシフトではない。食べることを除くほとんどの職人技は、いい仕事をしていてもどんどん食えなくなっているだろう。つまり経済力とは無縁だ。


といって、これで諦めるわけにはいかない。やれると思ってここまで来たのだから。何とか出来ることだけでもやらなければならない。この国での無為無謀を承知で。
こう考えている無力な自分を「馬鹿にするな!」という気持ちで受け止めていることに変わりはない。誰に向かって、何の武器で、何を標的にして闘おうとしているのかも定かでないのに。








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