日本の近代について

(例により、後からの追記が増える)


先輩の栄久庵憲司さんがかって、「最近、気になっているのは『近代とは何か』ということ」と言ったことがあった。
年のせいだろうか。他人事とは思えない。問題意識の核にあることではないが、ちょっと習得したことから抜き書きを。




いつからが近代かは、とりあえず置いておこう。
特に日本の、特に近代史だけをを調べてみても100年単位では、我々にとっての身近な生活環境が写し込めない。もっとも100年飛ばせば主要な近代史も終わってしまいそう。そこで、例えば30年単位で見るとどうなるか。それでも飛びすぎてはいるが、大きなスパンで見る意味はある。
しかも、この際、主に経済史的な視点から見てみよう(「日本の近代とは何だったのか」三谷太一郎:岩波新書などを参考に)


変局点を例えば、小熊英二(「平成史」編著者:河出ブックス)が設定する「ものづくり時代の始り」とする1964年(昭和39年)を軸にしてみよう。
この年に東京オリンピックが開催され、東海道新幹線が開通し、米月ロケットが着陸した。それから30年ごとの前後はどうかというと…
あっという間に江戸時代に入っていき、あっという間に2023年、つまり来る東京オリンピック後の3年目で、あと5年。
ここで引用した「前」は掛ける6倍、「後」は2倍だが、明治維新から太平洋戦争などまでの大事件もこの中に埋まっている。
この「前と後」の日本社会の変化は凄いものだ。


1844(弘化元年): 半世紀ほども準備期間があったのに、幕府は何も出来ずにいた。ヨーロッパの資本主義を受け入れる気運(開国、文明開化)が滲み出してきたのは土壇場だった。//すでに1790年代(寛政年鑑)には外国船が来始めていた。1837(天保8年)にアメリカ船モリソン号が浦賀に来て砲撃して追い返したが、これを契機に渡邉崋山、高野長英らは幕府の外交政策をきびしく批判し、それぞれ国元蟄居、永牢を命じられた。1840〜42(天保11〜13年)のアヘン戦争で清国がイギリスに敗れ(香港占領)、恐れを抱いた幕府は「異国船無二念打払令」を廃し「薪水給与令」を出した。1843(天保14年)改革は失敗。1844のこの年、オランダ国王が世界情勢を説いて(幕府への報告は毎年あった)開国を進言してきたが拒否。1846(弘化3年)にはアメリ東インド隊司令長官ビッドルが浦賀に来航、通商を要求。こうして毎年のように外国船来航となった。ペリーの初来航は1853(嘉永6年:1848弘化5年、アメリカはメキシコに勝ちカリフォルニアなど西海岸を得て太平洋に視点が向いた。中浜万次郎が帰国したのが1851嘉永4年で、2度とも来日したペリーの通訳を果たせた)(葵文庫が語る江戸後期・明治初期の歴史「天保・弘化期(1830〜1848)」などより)。
1858(安政5年)欧米列強の強さに負けた井伊直弼は朝廷の勅許をえないままに「日米修好通商」を結び、反幕府の気運が急速に高まり、これを抑えようとした「安政の大獄」に向かう。
この後、1868の大政奉還明治維新)となる。
イリアム・モリスが生まれたのが1834(天保5年) ・174年前


1874(明治7年):  「幕末」の匂いがまだ残っていた。//1871(明治4年)に岩倉使節団アメリカ経由でヨーロッパを2年間ほど見て回ったが、この計画は、まだ「攘夷」信仰の残る側近を加えて、変心させる目的を持った内務卿大久保利通の計画だった。1880(明治13年)に福沢諭吉が「学問のすすめ」で、朱子学から離れて「実学」への転向を集大成した。
岡倉天心の誕生が1863(文久2年)、13才のこの年には東京外国語学校にいる。政府はウイーン万国博に工芸品を出品している。鹿鳴館が出来たのが1883(明治16年)。F.L.ライトが生まれたのが1867(慶応3年)。この頃パリで印象派第一回展開催。1883ブルックリン橋完成(ニューヨーク:J.O.&W.ローブリング:「現代建築史」K.フランプトンによる) ・144年前


1904(明治37年): この年の日露戦争開戦を経て、本格的な国際資本主義に転化していった。//これは、日清戦争に勝って遼東半島を占領したのに返せと迫られ合意することになった独露仏の三国干渉を受け、アジアの国の対欧米先進国への弱さを見せつけられて興ったとされる。戦争には勝ち、白人社会を驚かせたが、この結果(ポーツマス条約)のやむにやまれぬ譲歩(もっとやったら確実に負ける)に国内の新聞は民衆の怒りを焚きつけた。1911(明治44年安政5年以来、53年ぶりの欧米列強との不平等条約を解消、対等国と認められた。
この年、天心、大観、春草らが渡米。天心はセントルイス万博で講演「絵画における近代の問題」を行う(「岡倉天心東京芸術大学発行データより)
この年辺りにT型フォード発売。ピカソが「アヴィニヨンの娘たち」を描いた。1907にドイツ工作連盟設立(バウハウスの前身)。ちなみにM,デュシャンが「泉」(男子便器)を出したのが1917 ・114年前


1934(昭和9年):  軍事的な[国際的地域主義]に固まり始めた。//1931(昭和6年)満州事変が始まり、それが終わったことにより、軍部によって引き起こされた国際環境の変動によって、「民族主義」を越える戦略的な「地域主義」に置き換えられた。ここには文化的意味はほとんどなかった。この流れが太平洋戦争へ導く。ヒトラーが政権を握ったのが1933 ・84年前


1964(昭和39年): 上述: 「ものづくり時代の始まり」//これで気が付くが、この30年の間に「国政すべてご破算」と戦後復興が収まっている。 ・54年前


1994(平成6年):   前年にバブル崩壊。経済成長が1%に下がる。小熊は前年1993(平成5年)を「ものづくりの時代の終り、ポスト工業化社会の始まり」としている。//ここからは「平成史」となり、我々個々人の記述になろう。(松本サリン事件発生。翌年1月に阪神淡路大震災発生) ・24年前


2024 (? 6年):   ポスト工業化とネット社会がもたらしたものが問われるだろう。 ・6年後    


後でもう少し、埋めてみたい。
最近著である百田尚樹の「日本国紀」からも引用させてもらった。






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