団塊の世代に任せていけるのか

団塊の世代を越えて、政策協議に入らねばならない、個人の創造性保護と文化の育成
(このサブ・コメントは2014/8/27のリビュー時に補足した)



NHK団塊の世代についての特集を途中から見た。
僕はその上の世代になるから、彼らの世代を外から覗いているような感じになる。
長いテレビ討論で意見交換があった後で考えると、この世代の明暗が自分なりに浮かんでくる。
その「明」は、やっと集団として自分の意見、自分の価値に目覚めた世代ということ。その「暗」は、いささか自分勝手で甘やかされた世代ということだ。
よく考えると、この明暗は同じことを言っている。
自我の確立は、甘やかしの上に立つ競争社会では、真の意味の自我の発見にはならなかったのでは、という気もする。
この世代のいう孤独も、グループでの競争に取り残されるという意味での孤独と取れ、それなりに甘美なものに映る。自分のやりたいことをやるのは、サラリーマン社会でスポイルされた人生への反動だろうが、それを許していくためにも、国の社会保障整備だけは大所高所から見直さねばならない。
10年後にはその問題の解決策の成否が出てしまうだろう。
日本人も馬鹿ではないだろうし、素人でもここまで感じているくらいなら、旨く法的整備をしてくれるものと信じたいが・・・はっきり言って、能力、適性からみても、最早この年の自分のやることではない。むしろこれを聞いていて、小田原「なぎ邸」での「平成寺子屋」の開始でも考えたほうがよいと思ってしまった。
それでも、始まっている教育審議会談義などを見ていると、いささか暗い気持になる。