@「新日本様式」の7分映像 

三井タワーでの展示風景

任されたが、つらい仕事


「100選」を選ぶとして実質53選(東海道五十三次にあやかった?)を選んだ去年の事業の後、これらを「新日本様式」として見せてくれというのが、協議会のプロモーション部会の仕事となった。実際はその中のプロデュース委員会(部会と委員会は逆かも)の仕事で、この作業に手を上げたところ、他に立候補委員が居ず、結果、自分の身にドーンと降りかかってきた。


というのは、彼らがどうして選任されたのか知らないが、写真入りで紹介されている石井幹子コシノジュンコ市川海老蔵(!)、日比野克彦ら、知人や半知人もいる選考委員(評議員と言っている)が選定した商品の「まとめ役」をやらされる羽目になったからだ。自分が関ったのでもなく選ばれてしまったものはしょうがないが、これらを全体として、未だ実体の不明な「新日本様式」として見せるというのは二重の負荷となる。
その上、実質こちらは裏方にされている。途中で降りてしまった方もいるのは当然だろう。ある委員がいみじくも言った、「大倉さんは志願兵だ(だから無給奉仕で当然)」と。


とんでもないことを任されてしまったものだが、「日本という国のアイデンティティはこうあるべき」という、これもたいして根拠の無い勝手な思いが深く、手を抜くことが出来ない。これを演出の側から何とかまとめてやろうということで、三井タワーでの展示を行ない、来るべきパリ三越エトワールでのレセプション演出に関わることになってしまった。


幸い三井タワー展示の方はそれなりに成功したようだが、パリとなるとそうは行かない。遠隔地である上、他国の見方・考え方の中で理解してもらわねばならない。更には予算も無い。最初は一週間以上の展示を計画していたが、決まったのは3月19日の1日のみ。出来ないことはやれない、と言ってきたことが考慮されたと思っている(誤解のないように言っておくが、事務局や委員長クラスの人は実によく働いている。彼らも、このままではやれないと言い出していたのだ)。
このことについては、ホーム・ページのエッセイ欄に昨年の11月24日「新日本様式日記Ⅰ」に書いたことである。


さてパリで何をするのか?展示はほとんどなくなり、昼間のセミナーと夜のレセプションだけ。このレセプションに「7分紹介映像」をやろうとなった。
もともと映像による紹介は計画にあった。ところが、「新日本様式」を簡潔に見せるとなるとただごとではない。53選が各選考委員の独自の視点で選ばれた結果、全体には何が言えるのかさっぱりわからない状態になっているからだ。


例えば「アシスト・ママチャリ」(補助電動自転車)がある。これぞ日本の公団住宅地やベッドタウンのどこにもある風景、ということで「新日本様式」となった。「カップヌードル」は世界中で食べているし、宇宙船にももって行かれた。これぞ日本の開発食品が世界を席巻した代表例、ということで「新日本様式」。「大宰府天満宮のおみくじ」は、季節に合わせておみくじの色を変える。木々に取り付けられたおみくじが見せる、季節感に会わせた環境配慮がいける、ということで「新日本様式」・・・と言った具合に。


これらを見てみると「匠」(たくみ)の技としての選定品(ホンダ「アシモ」、松下「ビエラ」、細い注射針など)はわかるが、「粋」(いき)や「優」(やさしさ)による選定となるととても難しくなる。この三つは本来の選定基準である。
ともかくも何とか区分けしてみたが、「新日本様式」は一段と判らなくなった。


今、映像で話そうとする時に「新日本様式」として考えているのは、日本の自然である。明確な季節感に込められた繊細な感情が、日本人の風土によって運命づけられて来た、というテーマだ。
「風土」と言えば和辻哲郎だが、わかっている気になって読んではいない。しかしどうも和辻が真に言おうとしたことは、自然と因果関係にある人間のことではないらしい。自然はいわば触媒であって、そこに生ずる人間関係が主題のようなのだ(片方信也、戸坂潤の批判を紹介)。こんなことを考えながらも、ここにグローバリズム市場原理主義への防壁がありそうな気は抜け去らない。


ということで映像の台本をまとめているが、どうなることやら。明日は朝から映像製作者たちが来る。この続きはまた後で。