@設計について判ったこと

設計者について判ったこと

思わぬ時に何かがぶつかって、何か妙に得心することがあるものだ。
今日、いや昨夜、日本建築家協会の「建築基準法改正緊急説明会」があった。
難しい話になるが、例の耐震偽装事件の後、国土交通省が躍起になってまとめてきた改正建築基準法が、この6月25日から施行されるということでの緊急集会である。
構造とその計算にはあまたの解決法があり、各数値はいろいろの値になると考えられているにも関らず、国交省では解答は一つであるかのような考え方をしている、と講師の構造家は嘆いていた。そして、この考えではコンピュータにやらせればいいので、構造設計家はどんどん減るのではないか、とも。
この説明会で、一番問題だと思われたことが、審査中の計画変更は認められず、変更するなら確認のやり直しになる、ということだ。一方、審査期間は最大70日まで延長可能になる。結局、完全に設計を確定してからでないと確認申請に出せないということだ。設計がますます現場から離れて行き、設計の楽しみを奪うことになって行く。今後はこれを逆手に取って、設計料を2倍にでもして時間と確実を買い取るしかないのでは、と思ってしまった。しかし、この説得と市場の原理は違う。設計料を大幅に下げても客が増えれば同じ事。つまらぬ詳細や美学にこだわって誠実な設計と思いつつ、無駄な時間を浪費する設計者は経済を知らない。仕事が取れてなんぼの世界では「こだわりの美学」なんて不要だ。営業の方が大切なんだ、との考えも噴出して来よう。

この後、旧知の先輩と一緒に食事をして雑談に花が咲いた。
その中で、前川国男に会って話した時の話が、これまで聞いていた話と違い、とても面白かった。曰く、挨拶に行って、ついでに「仕事を下さい」といったら、「今、うちも半年以上仕事が無いんだよ」といわれて仰天したこと。そして「ヨーロッパの建築家は一つ仕事をして収入を得たら、それで外国旅行に出掛け、無くなったら帰ってきて、また仕事をするんだ」と言ったそうだ。つまり、食うに困らない生活状態でなければ建築なんてやっちゃいけない、というわけだ。
この後この先輩から、やたらと「営業」に専念している設計・デザイン事務所の例がでて、僕は「ああ、それでこの分野はどちらかでなければならず、万人に機会均等の考えと同じで、すべての設計事務所が均等に食える機会に巡り合わせるということは、競争とダンピングで皆が食えなくなるということと同じなんだ」と改めて得心したのだ。
こうなると、遊んでいても食える者が初めて設計してもいいんだ、と言わんばかりの前川の言が妙に高貴に思えてきて、本当にいい仕事、いい職能倫理を持つなら、それでなくてはならぬ、との思いがよぎった。
食うために設計するなら、堕ちきって、さっさと接待漬け営業に徹せよ。奇麗事を言うな、と考える事務所の立場もここまで追い詰められると有るんだ、と思えてきたのだ。

これからは明らかに、一段と設計者受難と差別化の時代になる。会場を見渡してもどこにも「建築家らしい」かっこいい姿など無く、灰色にくすんでいるように見えたことが思い出された。
杞憂ならいいが・・・。