私がJIDA(社団法人日本インダストリアルデザイナー協会)の理事長時代に出したスローガン「デザイン・ジャパン・モード」(2004)をめぐって、この3月まで理事長だった山内勉氏と話し合った。

以下は、当協会の機関誌「ホットライン」最新号(VOL77)に掲載された記事の抜粋で、一部書き換えもある。少し専門的で難しいので、飛び飛びとなるかもしれないが、2日にわたって掲載します。


対談テーマ
「発信:デザイン・ジャパン・モード ―日本発の美学が世界を変える―」を総括する


対談者
大倉冨美雄(1999〜2004年度 理事長)
山内勉(2005〜2006年度 理事長)


その1
なぜ、「デザイン・ジャパン・モード」か?


大倉 今は、社会が音を立てて回転している時代です。こういう時に、高度成長期にJIDAの役割が明確に見えていたように、今、新しい役割を何としても明示したかった。それが「デザイン・ジャパン・モード」に込めた意図です。もちろん抽象的過ぎて、何をやればいいのか分からない、という会員の反発もあるだろうとは十分承知していました。しかし結局、これだけは言い出しっぺで、言っておかなければならないと思ったのです。
なぜ、「デザイン・ジャパン・モード」となったかですが、今、日本を取り巻くものづくりが確実に限界に来ています。次の国づくりの指標を、コンテンツ、環境、空間や美など広い視点でみることが是非とも必要になっているのです。その上で、国際的な意味で新しい日本の、いわば、結果としての国のブランド・アイデンティティを打ち建てていくこと。そこにはデザイナーの役割が大きく、しかもシステムとしてこの道を創っていかなければならないのです。これが「モード」で、これをJIDAの立場から提示することに意味があるのです。
ただ、拡散するので敢えて詳しくは触れなかった。
ものづくりもインテグレーションして考えることが重要で、例えば、道具や設備も、感性要素、空間要素として見ることがあたりまえです。金型の平滑度を手で触って計ることなど日本のものづくりの強さがあるが、それはよく考えるとデザインのことじゃない。
山内 確かにいま日本の製造業の現場では、団塊の世代の引退で技能の伝承が問題になっているし、一方、生産技術面では、グローバルで競争して勝つポイントというか、目標とするものがわかっている。じゃあ私もそうだけど、この世代のデザイナーの伝承に値するノウハウは何か。グローバル競争で鍵となるブランド価値創造でデザインの目標がはっきり出来ているかというと、同じものづくりでも置かれている状況が違う。
大倉 それはデザイナーの問題としては、これからは効率と均質化をもたらしたアメリカ型の市場効率万能という基準でひとからげに判断できないということではないかと思う。コンテンツも、環境問題も、新しい生活空間も、更には美の問題も勿論、売れればいいとか、どこかで出しているから似たものをという発想からは生まれ得ない。だからデザイナーは新しい視点にもっていくことが大事で、「日本」、「美学」、「モード(様式・方法)」をひとまとまりのキーワードで訴えたかったのです。
でもこれはスローガンで、方法の提示じゃない。「美へ」とは言っても、どうしたら美しくなるのかを言ってはいない。


その2
明治100年問題と日本のデザイン美学


山内 「デザイン・ジャパン・モード」という基本テーマが出たのが2004年、その後、安倍首相が「美しい国」を掲げて登場し、それをデザイン政策面で具現化する「感性価値創造イニシアティブ」が近々に発表される予定ですし、2005年には産業界と行政が音頭をとって「新日本様式」協議会が発足するなど、時代を先取りしていましたね。
大倉 やっぱり企業も国も悩んでいますよ。そこで、言い出したJIDAがもっと前にでて発信できれば良いんだろうけれど。
これは結局、明治100年の問題です。特にデザインは戦後アメリカの影響が強くて、みんなあこがれて取り入れましたね。最近、同世代の仲間と話していても、あれは何だったのかということがよく出てきます。
この頃から経済効率、市場調査にデザインも席巻された。
日本人も全体主義的だから、市場経済優先となると皆それを善しとしてしまう。違うと思えば生産組織から脱落するしかなかった。下請でなく外部から主体的に協力する途の無かったインダストリアルデザイナーにとっては致命的ですよ。
山内 そういえばよくあることですが、内にいるとなかなか見えにくいが、外から指摘されて気付いて、あ!そうかというパターン。その良い例が昨年春、タイのバンコクで開催された「日本デザインの遺伝子」展です。
日本を見ている海外、特にアジアの目は、最先端の新製品情報は当然として、何故そういうものが次々を生まれてくるのか?それを知りたいと思っている。それで、プロデューサーの平野暁臣さんは、「小さく、薄く、軽くする」など15のキーワード毎に、最新の製品と戦後の工業製品、それと明治を越して江戸まで戻ってその道具のルーツを示して並べた。
大倉 あれは良かったですね。日本人はこの100年間、技術はもちろん、精神も文化も「入る」ばかり計って「出す」を怠ってきたために外国人の目が判ってない国民になっています。やっと外からの目を取り込んだプロデュースが出来る人が出てきたということでしょう。
そういえば、「入る」ばかりの国ということでは、ものづくりは見えやすく伝統の技もあったのですぐイノベーションに結び付けられたが、行政や教育が関る文化の方は放置されたんですね。国と行政は国富と強兵のために文化を切り捨て、こうなると教育も特に戦後は、IQ力と暗記力だけの受験体制から「道」を忘れ、文化の力を教えず、効率と浪費、利権と金権体質ばかりを増長させたのは明らかでしょう。ここから現在の日本がこれだけ富んでいるのに、観るべきものがない、感じるものがない、人もつまらない、同じ景色と同じサービスでどこに行ってもつまらない国になったんです。
これは直接には観光美、街づくりの問題ですが、フランスの観光収入は日本の36倍とか聞いて驚くんです。これも、廻りまわってデザイナーの責任がありますよ。