前々日に出した、JIDA理事長対談の後編。

「発信:デザイン・ジャパン・モード―日本発の美学が世界を変える―」を総括する


「新日本様式」について


山内 「新日本様式」協議会という活動が立ちあがって、JIDAも団体会員として参加し、大倉さんには「プロモーション委員会」の委員として担当をお願いしているわけですが、「新日本様式100選」の選定も含め、いろいろ批判があるのは承知していて、それでも、このテーマに産業界、行政が取り組むのを見て、JIDAが何もしない手はないだろうと考えています。委員会でもデザインのプロフェッショナルとして、いろいろな問題提起や問題解決に尽力されていますが、どうですか。
大倉 いろいろあるとは思いますが、「100選」について言えば、選定委員の選定とその取りまとめにまず問題があったのではと、いろいろの人と話していて感じるところでした。これらの人たちは正式には「評議会委員」という肩書きがついていて、発表会やカタログでは写真入で紹介されています。ところが彼らの選定商品を再選別して、何とか得体のはっきりしない「新日本様式」を見えるものにまとめて提示するという、肝心で実に難しい仕事は、結果としてでしょうが、こちらに丸投げされてしまったわけです。それを事務局の方々とやったわけですが、こちらは全く紹介もされない状態です。
それには理由もあって、会員は無償協力が当然だからというわけです。となるとデザイン料もありませんということにもなった。
ここに「ソフトにはカネを払う習慣がありません」「タレントか、人脈で繋がっていないと名前は出せません」(笑)というこの国の国民性が出ちゃっていた。もっとも報酬については、一般の協力会員は自分の会社から給料が出ているから、それでもいいわけです。JIDAのような社団活動ではボランティアですから、会議に出る程度ならいいのですが、創作活動までとなると問題です。
僕は抗議しました。もちろんカネが欲しいというより、ここにあるデザイン業の下請零細企業構造の現実を問題としたわけですが、結果、事務局レベルでの認識は改まりました。でもここからが問題ですよ。
山内 私も今回選定された53点をみて、「新日本デザイン様式」ではないから仕方ないとはいえ、余りにも拡散しすぎて何を訴えたいのか見えにくい。「たくみ」「ふるまい」「もてなし」の3つのこころをベースに置いてという説明があったが、選定委員でそれが共有、理解されていたか疑問です。
大倉 そのとおりで、繰り返しですが日本橋の三井タワーの展示プロデューサーとして事務局の協力を得て取捨選択し、ある方向をだして見せた能力を評価してもらわないと困る(笑)。
山内 この後パリで展示すると聞いて、「現代日本物産展」になるんじゃないかと、余計な心配をしました(笑)。
大倉 行き係り上パリ展も首を突っ込むことになったんですが、こっちは予算の関係もあって、映像でのプレゼンテーションとなりました。今度は映像プロデューサーとして活躍しています(笑)。
山内 問題はあるにしろ、デザイナーにとって日本様式、まさにジャパン・モードですが、これについて考える機会ができたのは良いんじゃないかと思っています。「様式」というと、形式的特徴の総合とか、特定の表現上の特性とかという意味ですが、基本的に様式には「型」があるものです。
「型」は安心感をもたらすと同時に形式主義に陥る危険もあります。
そこで日本人はそれを防ぐために、「真・行・草」とか「守・破・離」でもって伝統と革新に取り組んできた。そういう観点から、今回の「100選」でJIDAが推薦して選定された『サイレントバイオリン』は、基本型は西洋の楽器だけど、日本の「余白」、「省略」の美学が表現されたものです。
大倉 そう。こういう洗練されたデザインが続くといいですね。望むべくは、西洋原型ではなく、日本発の新造形の連鎖でありたい。



「デザイン・クリティーク」を育てよう


山内 この3月で理事長職を離れますが、基本テーマをどうするかは、次の理事会、理事長の考え、判断に委ねるのが正しいと思います。今後も会員として当然活動を続けていくわけですが、JIDAあるいは日本のデザイン界への課題と提案をぶつけましょう。なぜ在任中にしなかったのかという批判が飛んでくるのを覚悟で。
大倉 JIDAはいいものを持っている、いいことをやっているけれど、それを束ねて発信する力が弱い。原因として言語能力の問題と、最初に言ったことだけど、個人プレーに走って職能全体をどうしようかという発想がないことです。これは日本をどうしようかという枠でも同じことですが。
山内 同感で、まず英語覇権の問題も含めて、ことばの力の重要さを痛感しています。デザイナーの表現手段はことばではないが、思考過程では造形思考と概念思考を繰り返しているはずです。デザイナーにとって両刃の剣かもしれないけど、言語能力が課題です。
大倉 私はデザイナーとしては、ことばは信じていない。でも大事にしている。
山内 組織プレーについては、難しいですね。個人の自主性で成り立っているということは確かで大切なことなんだけど、それが聖域になっている。JIDAも法人組織ですから、特に理事としては。10年前最初の理事会はカルチャーショックでしたね。
そういえば、大倉さんの基本テーマ宣言文章の最後で、2010年に何か大きな目標を持って、たとえば日本のインダストリアルデザインを代表するJIDAが国際社会に呼びかける場を持とうと提案されていました。
大倉 そう、2010年では遅いかもしれないけれど、どんなプレゼンテーション方法が良いか。できることは一杯ある。問題は内の意思統一と、外の協力をどれだけ得られるかだ。やるとなれば、ぜひ協力したいですね。
山内 日本のデザイン界も現場でものを創っている人たちだけでなく、経験を豊富に積んだ人や、近いところでデザインに関係している専門家の分厚い層があってこそ社会的な力になります。それだけの蓄積は出来てきた。そこで特に最近思うのは、デザイン批評の必要ということです。
デザインはどうしても市場原理が支配的で、建築と違って育ちにくい。それが良かったという見方もありますが、一人前の社会的職能としては偏っている。
デザイナーはさっきの話で言語が苦手。書くのは直接のデザイン・ワークから遠い人が多い。市場原理は当然として補完すべき視点はある。JIDAはデザインミュージアムという貴重な資源もあるし、それができる場を持つにふさわしい団体だし、そういう人材も集まってくるようになる。
大倉 われわれは、言わば「新日本デザイン様式」の模索と、見えるものへの経済的再評価、その認知化を進めなければなりません。それを発言して行なっていくのには、「デザイン・クリティーク」と言う方が良いですね。クリエーションとクリティークで行きましょう。

(2007年3月1日 大倉冨美雄デザイン事務所にて)