チェッコ・ボナノッテ CECCO BONANOTTE

 ―軽さの深い意味―


一部の文化人には十分知られた彫刻家であろうが、この2月中旬まで箱根の彫刻の森美術館で展覧されていた彫刻家チェッコ・ボナノッテの作品を、今日、イタリア文化会館で見ることが出来た(丁度、「プッチーニ・マラソン」というイベント第1回を始めていて、これもなかなか楽しかった)。


先にジュリアーノ・ヴァンジについて触れたが(4月23日、本ブログ)、こんどはボナノッテについて記さなければならない。
言うまでもなく、ボナノッテもイタリアの空気を心ゆくまで吸わせてくれる。
同じイタリア人であり、同世代を生きる作家の仕事が、順を追って日本で見ることが出来る。
凄いことだが、意見はある。


それは後の問題として、ヴァンジとは微妙に違うボナノッテの作風について、自分なりに考えて見る。この問題はある意味で、他人事ではない。
ヴァンジと同じで、作品を写真添付したいが、多分、著作権の問題がからむので、いくらか説明で補うしかない。


ほとんどがブロンズを中心とした平板な壁面状の鋳造であり、緑青を発生させるなどの「古び」をより大切にしている。
壁や窓を意識させる立体平面に、どれも10〜30センチ程度までの、削ぎ落とされた細長い男女の裸体が「組っついて」いる(ブランクーシジャコメッティの影響だろう)。人間はとてもスレンダーで、厚めの焼きせんべいのようでさえある。手足や表情は、抽象化されているとしても要所は押さえているので、「人間の人形」であることははっきり見て取れる。ただあまりにも小さいので、あることを除いて、その人間の喜怒哀楽の仕草や表情が主題であるようには思えない。
組っつきかたはいろいろあり、窓から覗いていたり、屋上に立って居たり、1メートルも離れた張り出しワイヤーの上にいたりする。
ほとんどの作品に出てくるこの壁状の立面が、抽象的に宇宙を語っているかのように、質感や象形文字風の描き込みや引っ掻き傷で出来上がっている。
従って、ボナノッテの作品は実際の「門」や「扉」に取り付けるのにぴったりである。事実、ヴァチカン美術館の大扉、パリ・リュクサンブール美術館の大扉、サン・ピエトロ教会の扉(パヴィア・イタリア)などの受注を受けている。そのやりかたはほとんどが30センチ〜1メートルくらいのパネルとして、組み立てて行くもので、大作主義的ではない。


さて、ボナノッテは何を言いたいのだろう。
1975年、33才の時に日本に来ているというから、その後、個展の事などで何度も来日しているとみえる。ということは、彼の作風の中に、ヴァンジに比べると遥かに日本人的な枯淡の境地のようなものが見えるからだ。(事実、前薬師寺管主の松久長老が仏教の説く唯識思想の生命観と一致していると語っている、と主催者の久光製薬・中富社長が聞いている)。
作品の人間は、敢えていえば宇宙船から這い出して漂っているようにさえ見える。それが空気の軽さと透明さを表わすことになる。ブロンズでありながら、紙や布のような軽さを持ち、風が流れているようにさえ思える。


彼の作品は、「・・・『時間』『空間』というテーマが内在し、あくまでも人間像を中核に『期待』『対照』『鳥』などの主題が卓抜な技術に支えられて軽やかに奔放に展開され、見るものの様々な解釈を可能にしてる」(彫刻の森美術館理事長・上野一彦氏)というように、時間と空間という制約された宇宙の中で、それに逆らうか、共存するかのように軽さを目指して流れている。
先に「あることを除いて」人間臭くはないと言ったが、それがこの、「軽さを目指すこと―それが何故なのか、この世の憂さを忘れる逃避のためなのか、人間そのものの宇宙での軽さを意味するのか・・・といった疑問や命題を呼び起こさせる」、ということを除いて、という意味である。


段々、抽象的な話になるが、「彼の芸術は精神的である・・・彼が好むのは、感動、感情、記憶、我々の回りと我々の上にある非物質的なオーラについて語ることである」(ウフィッツィ美術館館長アントニオ・パオルッチ氏)というあたりが、作品の軽さについて何とか説明出来るヨーロッパ型の限界だろうか。


ところでボナノッテについては、俵万智さんが深く惚れこんでいるようで、次のように言っている。
「この人は、かたちで詩を書いている・・・というのが、最初から今に至るまでの、かわらぬ印象だ。・・・ボナノッテの作品は、人間の持つ詩的な側面を、せつなく美しくうたいあげているように、私には見える」
別のところでの評に、「具体的な姿をしていながら、いつのまにか深い抽象の思考にまで、観る者を誘ってくれる・・・それが彼の作品の魅力だ」とも。


さらに彼女は、ボナノッテの作品テーマの一つである「鳥」についての思いも寄せている。
長くなるが、意味深なので引用させていただこう。


「いつだったか『ボナノッテの彫刻は、影さえも美しいな』と感じたことがあった。・・・
彼の彫刻に、しばしば登場する鳥、あるいは飛翔するかたちを見ると、いつも私は一首の短歌を思い出す。


おとうとよ忘るるなかれ天翔ける鳥たちおもき内臓もつを    伊藤一彦


空を飛ぶ鳥の自由は、古くから人間の憧れだった。が、その鳥たちは、身のうちに重い内蔵を抱えつつ飛翔しているのだ。ボナノッテの鳥たちも、ただ美しいだけでなく、そのことを忘れずに教えてくれるように思う」