今夜の「カンブリア宮殿」

今夜の「カンブリア宮殿

―森稔森ビル社長の発言について―

About the expression by President Mori of Mori Building in TV.


 

今夜の12CH「カンブリア宮殿」は森ビル開発物語だった。


これまでの大都市東京での地域開発について、森社長と社員の努力にすさまじいものがあったと実感出来る。
耐えて耐えて、10年、15年という道のりは尋常のものではないと感じる。
特に、土地の転売や悪質なビル建設で儲けようとしたのではなく、何とか良い環境を住民と一緒に創りたいという願望からの実践は高く買われてしかるべきだ。
こういう真面目な努力で10年ということが他人に真似のできないところだろう。机上のプランを述べている人たちとは大きく違う。


ただ、森社長の話の中に、新橋辺りの赤提灯飲み屋街を想定しての村上龍の質問に対して、「貧しかりし時代に戻るというのはやめてもらいたい」というのがあった。
この答えに代表されるように、森社長は稀代の新しいもの礼賛者であることが判明した。

多分その心の底には、一面焼け野原だった東京の姿がトラウマのように巣食っているのだろうと思われた。
この観点からすると、上海での超高層建設を手がけ終わり近くになって、『なんと日本の開発スピードが遅いのか、日本は世界から置いてきぼりを食ってしまうぞ』と歯軋りしている愛国者の姿もすんなりと重なってくる。実際、確か、『(一等国からの脱落は)先祖に申しわけないじゃないですか』という主旨の発言もあったと思う。


ここでは、森社長の超近代主義礼賛と、多分そこからの開発至上主義が問題なのではない。
しかし、その考えになると赤提灯飲み屋街も古いものだとしてしまうことに一考の余地があるのではないだろうか。
赤提灯飲み屋街が森ビル開発に合わない、というのは、それはそれでよいが、赤提灯街と近代ビルとの共生が不可能なわけでは無いだろう。
赤提灯街にある、ある種の奇妙な安らぎと親近感は心理分析の対象になる。
六本木ヒルズで稲刈りが出来るような計画を取り込める位なら、赤提灯界隈の全く新しい提案だって気が付いていいはずだと思われる。


森社長は、また確か日経アーキテクチュアの表参道ヒルズ特集で、設計担当は「安藤忠雄しかいないと思った」というようなことも言っておられる。
ここにも近代主義者(敢えてレッテルを貼る気で言っているのではなく、イメージの具現化のために借用した)森稔社長の価値観が浮き彫りになっている。


実際、六本木ヒルズでの疲れ方と表参道ヒルズの表通りの味気なさは建築家の少なからずは知っている。

時代は確実に変っている。
設計者としては、このような方(かた)にこそ、自然環境と人間の、そしてモノが生み出す空間と人間との真の関わりについて、理解あるいは承知してほしいし、そのような観点から努力している設計者の拾い上げにも勤めて貰いたいと願うのだが、欲張りだろうか。


村上龍も後で、実は無機質なビルもきらいではない、などと言っている。もう少し、論理仕立てをして聞いてもらいたかったが、もしかすると、出来上がった美意識を持つ森社長にこれ以上言うのは酷なことなのだろう。
そして誰も、大人気ないこのような意見はしていないのだろう。