年末所感 At the end of the year 2007

(12月30日追記あり


何やらまとまりのつかない年になった。



何で「エンタの神様」なんかばかりが受けるのだろう。言うだけ野暮か。
細木数子や三輪明宏のような人たちもいるし。
テレビの主要番組と見られるものは、ほとんどが見飽きたお定まりのタレントの出演で占められているし、やらせっぽい企画や演出も多い。
それでいて気分転換と自認して、何となく見てしまう。


天下泰平のようにみえるが、歴史上、あらゆる激変の中でも最大級の変化の真っ只中にいるのが現在だろう。
でも、あまりに見えにくいので手がつけられない。


年の始めに、自分の創作活動の開始と方向性について述べた。
このことが意識に無かったわけではない。むしろ毎日あった。
でも一般的には、個人の創作に対してのデザインの論議は非常に低かったと感じている。僕自身がデザイン・メディアの動向をあまり注視しなかったからかもしれないが、このことからも気持ちが拡散した。
デザインを科学にしたり、気付きの問題とする方向への指摘は強かったが、個人のクリエイティビティの問題に肉薄するようには思えなかった。
例えばライフワークとしても絵を描いていたコルビジュエ。すぐ脳裏に浮かぶが、あの時代ならよかった過去の個人的創造者の後追いはもう意味が無いだろう、とか。


一方、デザインの社会性への啓蒙活動への意欲と実践については、創造活動の邪魔になると思いながらも、徐々に実績を上げて行けそうな気配を感じている。
評判のよかった過日のNPOの「座談会」の内容は、来年、2月、3月に行なう同様の集会の成果と合わせて、なんらかの広報に載せたいと考えている。それは「効率を追わない思想」とでもするか。


環境への視点は準備出来た。ただ格差については、税制、産業構造、行政などいささかデザインから離れるため、手がつけられないている。強者が弱者を救済するというのは嘘だから、自由競争だけでいいはずがない。この救済システムに税制や知財権の観点から、NPO法人は何か出来るはずだと思うが、教育問題を含めて今後の課題だ。


それから姉葉問題に端を発した建築の問題もその一部にある。この度、建築家協会の会長選挙で仙田満氏が落選し、出江寛氏になった。仙田さんが立派だったのでまさかと思ったが、出江さんも中小設計事務所の過酷な設計料問題を十分意識しているようなので、この観点からがんばってもらいたいと願う。しかし、この問題は建築問題というより、税制や行政、知財権の問題であり、社会システム全体に関わる問題なのだ。ということで、弱者の救済システムと同じ問題に入ってくる。つまりNPO法人の課題でもあるのだ。


問題はもう判っている。
求める日本の未来の姿も自分には分かっているつもりだ。
問題を整理して、実行の方法を見つけ出す、どころか、もうその方法に従って行動すべき時だ。


今年は、いや今年も、そして今年は特に、身の回りに想起した諸事件やいざこざ、あるいは過程のための過程参加に振り回され、他方では、生きるために儲からなくても稼がねばならない現実に振り回された。
この年になって、少しは気楽になれたかって?
とんでもない。ますます心理的に忙しい。
それは人生の残り時間計算が心理的に圧迫してくるからなのかも知れない。



ともかくも来年は、何らかのかたちが見えるように、整理し、実践しよう。


このブログだけはパラパラとだが、何とか1年続いた。でも読んで沈殿してゆくものを自分が得たのか、あるいは提示出来たのかどうかは分らない。ましてアクセスして下さった諸賢に満足や納得を提供できたかどうかはもっと分らない。
ただ、この1年お付き合い下さったことを感謝するばかりです。