「個が輝く年」元年へ For the new year of a brilliant individual


謹賀新年



今年は「個が輝く年」元年としたい。


新年早々、またテレビ話題、しかも去年の事で気恥ずかしいが、大晦日の夜8、9時の番組は紅白歌合戦、芸能人ソーシャル・ダンス大会、カラヤンの演奏会録画番組が並行してあった。
でも、それぞれの視聴者は同じ日本人でも全く別の「人種」だろう。


ダンスは自分が楽しむだけでなく、躍りを音楽と組み合わせて、その人のからだそのもの、動き、ラインなどを美として楽しむという点が、伝統の日本舞踊とはだいぶ違う。
晦日や暮の第9も今や恒例だが、日本だけの習慣という。シラーの詩によるドイツ語ということで、直接にはゲルマン民族歓喜を謳うつもりだったベートーヴェンも、さぞかしビックリだろう。
このようなトレンドが日常化し、国民には常態として根付いて来た。


日本はこのようなことが同時進行で行なわれるので、とても面白い国だ。
それはデパートが好きな国民で代表されるし、神式、仏式、教会式を自由に組み変えて会式も行なってしまう。


これはデザインとして見ると、どういうことか。
好きなことを、好きな時にやれる、楽しめるということは、デザインとしても関わりのある場面が増えているはずだ。


しかし一般に、これを享受する側と提供する側の論理はかなり違う。
提供する側をプロと呼べば、到底楽観できるような状態ではない。

これは去年の最後に述べたことの繰り返しにもなってゆくが、まずプロがそれに見合う収入を得る安定構造が出来ていない。
もうひとつは、そのことを決定している社会構造が出来ていない、つまり、知的資産の価値を享受者側も発注側も十分認識しておらず、その結果経済評価尺に盛り込まないままの社会システムだということ。
この問題は、これまでに取り上げてきた流れから社会認識問題に転化して言えば、過日の格差化に潜む問題と同根である。


今年はこの問題の掘り下げ、行動化から、「個人の、個の輝く年、元年」としたい。