グリーンスパン前FRB議長の話からFrom Mr.A.Greenspan’s personal

米国の行方と日本の行方

From Mr.A.Greenspan's personal history



アラン・グリーンスパン(前FRB議長)が日経新聞に書いていた「私の履歴書」の最後の手前で、「格差への答えは教育にある」と言っている。
米国の経済動向の羅針盤としてつとに有名で、「神様、仏様、グリーンスパン様」などとも言われてきた。かくも名高き人物のことを書くのはめくら蛇に怖じずで、気恥ずかしい気もする。


読んで見ると、教育でもちょっと違うかなと考えさせられる。
その明確すぎる仕切りには、改めて驚嘆するが、ここにアメリカナイズされた価値哲学があるのだろう。つまりやはりプラグマチズムなのだと思う。


彼によると、新発明、新技術、設備の洗練化が経済成長を促してきたが、雇用者の技術はそうは追いつかない。「使い道のなくなった技能しか持たない人の報酬は減り、反対の人はひっぱりだこになって報酬は大幅に増える。この結果、米国では大きな所得格差が生まれている。民主社会にとっては危険な傾向である」と。
この問題の解決が教育にあると言うのだ。
で、何を教育するのかと言えば、「時代の変化に合わせて技能を付けることで所得を高めていく」のだという。
…?、それはそうでしょう。当然じゃないですか。
問題はそれで片付かないから、問題なのであって…、それで人生がバラ色になるなんて、何と単純明快なことか。


この考え方はアメリカだからこそ通用する考え方なのではないか、と思ったりもする。多分そこには、どんな形であれ、成功を信じて頑張る人たち個人、個人への、温かいまなざしや手助けのシステム(セーフティネット)が出来ているのだろう。それならば、アラン氏の言うことだけで良いとなるのだろうと思う。


日本では、技能が高まれば所得が上がる、とは言い切れないのではないか。
今日も、サンデープロジェクトで似たような議論が出ていた(木村剛氏の主張はいいところを突いていたが、僕らのことをよく判っているとは思えなかった)が、わが国の財政投融資は大企業に偏り、零細企業には篤くない。さらに根本的な問題として、個人の創意工夫を経済評価せず、所属・肩書きの方を重く見る。この二つを見ただけでも、グリーンスパン様、お宅の事情の通りには行きません、と言いたくなる。


こう考えるのは、最近、身の周りで、信じ難く、本当に人間性を欠く乗っ取り行為が立て続けに起きていて、それが大であれ小であれ、こうまで日本人が組織にしがみ付き、そこから身勝手な行動を行なうのを見ていると、やはりこの国はとても不幸な状態にあるのだと思わずにはいられないからだ。


グリーンスパン様。日本のことを語るには、グローバル・スタンダードではいけないのではないですか。そのためには、というより、日本の経済学者、エコノミストで、あなたの信奉者たちに何か話される時は、「これはアメリカの話ですよ。日本のことはみなさんで考えて下さい」と付言する必要があると、お願いしたい気持ちです。