吊し上げに遭う Being subjected to a kangaroo court.

60路にして周りから責められる。

Being subjected to a kangaroo court at age 60's.

以下、食事をしながらの会話。フィクションもあるし、僕以外、誰が誰であるかというのは伏せておこうと思う。


A「自分が言うだけで何も実行できないなら、文句を言うな、というのが社会の通念になって来ているよ。この間のマクドナルドがいい例だ。不満を社会化する形でぶつけたからこそ意味があるのであって、何もしないなら、やらないのと同じだ。そこで日本が悪いとか何とか言ったって、日記に書いている程度じゃ誰も何も協力しないよ。そういう無責任なことを言うのは自分の評価を下げるだけだ」
B「そうよ。あなたはそんんことは向かないのよ。」
僕「てことは黙って仕事しろということかね」
A「そうだね。厭ならやめればいいんだし」

B「あなたは本来芸術家なんじゃないの? 芸術家ならもっと飛んでてもいいし、もっと発想逞しく、一本抜けなさいよ。」
僕「いや、デザインに関してはそういう意味での芸術とは言いきれないね」
B「そんなの、逃げ口上よ。そんなこと言っているから、何年経っても進歩がないのよ」
僕「デザインには理知も社会性も必要で、いわゆる芸術家のように破廉恥で、それによって認められるということは考えられないよ」
B「じゃあ、もっと身なりとか人に対する態度を洗練させたら? それにみんなもっと真剣にビジネスのことを考えているわよ」
僕「僕が必死でないなんてことは、ないんだよ。デザインというのは、社会的な理知と暗黒の混沌の両方を集めて、何とかバランスを取ろうとしていることだ。これを教えてくれたのがアンドレ・ジイドの「狭き門」を解説した小林秀雄だった」
B「ジイドや小林秀雄なら、見えてわかる仕事をしたからいいのよ。あなたは何もしていないじゃない。比較する方がおこがましいわよ。それにそういう比喩はもう古いわ」
僕「比較しようとしているうのでなく、大学時代から僕自身の問題意識の中に、この違ったベクトルを持つ二つの力を両方捨てないで、なんとか一つにしようという意識があるのだよ」
B「ともかくも、あなたのやっていることはみんな中途半端。すべて言い訳。このままやりっ放しにして終わらないでね」