村上隆とニューヨーク Takashi Murakami and New York

わがニューヨーク時代の想い出から  RV:20150520


Takashi Murakami and New York


帰宅して、ちょっとテレビをつけたら村上隆(あの「フィギュア」「芸術企業論」の)をやっていた。ニューヨークの画廊での個展で、絵は今度は達磨のグラフィック絵画シリーズ。何やらダーツの円形的(まと)のようなものも並んでいた。70点だか全部完売、中には2億で売れた絵もあったとのこと。富豪夫人らしい買手も出てきていて、今まではミロやダリを買っていたが、(と言ったのか、ラウシェンバーグ、ワーホールを買っていたが、と言ったのかは忘れたが)「これらはこういう絵を買う」とのこと。画廊主もほくほく顔。


どうなってるの。サブプライム問題で景気減速のアメリカだというのに。しばしつられて、やっぱり絵画の方がいいじゃん、道を間違ったか、なんて思ってしまった。
村上の努力、戦略、幸運もあるが、ニューヨークだということで思い出す事がある。


30才前後の頃の一年間滞在中、休みの日かにダウンタウンに行った事がある。ソーホー地区だったのだろうが、ギャラリーが所々にあり、ちょっと自分にぴったりの街という雰囲気だった。
ちょっとウィンドウから覗いていると、中から手招きでお入りなさいと妙齢婦人。ちょっと話したのだろう。孤独なこの街でのこんなことは、妙に心を癒す。寒く淋しい日だったが、僕はなごみ、楽しくなった。


今、思い出すとそれだけのことだけれど、あの時、デザインや建築に見切りをつけていれば、今はもっと大成していたかも知れない、なんて、馬鹿空想に走った。
しかし、あの時の自分の気持ちは、当然、今考えればそこまで昇華、成熟していなかった。絵画をやるやつなんて気が知れない、と思っていた。
あれでは無理だ。画廊夫人との人脈も育つはずがなかった。


人はどこからカネを稼ぐのか。人は何に投資するのか。それは日本でいいのか。しかるべき自分に合った国があるのか。デザインの日本、あるいはアメリカの経済システムにおける強み、弱みは何か。それは克服できるのか。自分のやりたい事は本当は何か。それとカネを得る仕組みは繋がっているのか。
このようなことに、慧眼であるはずも無かった。
もっと言えば、絵画なら絵画で、自分の絵画を描く理由もわからなかった。
あれでは、どっちみち駄目だったろう。


ビジネス戦略の常識を、徹底的に自分の創作活動に応用するということが村上の手法なのだろうが、ここまで割り切れるには、やはりそれなりの成熟が、あるいは知力が必要だ。
僕は、イタリアに行って楽しかった。 ああ、良かった、ニューヨークなんかに居ないで、と思ったのだ。
これでは駄目だ。


ニューヨークは実に奥行きのある街だ。いい面だけ取り上げれば、凄い金持ちと、新しいビジネスや個人のパフォーマンスに寛容な人たちがいる。こういう土壌で、とんでもないことを面白がり、大金を叩く人たちがいる。そういう土壌を掌握した上で、成熟した考えから行動に出れば、必ずやそれなりに受け入れられるだろう。


大統領選でのオバマでもわかるが、もう「ある意味での」人種差別は解消しているのだろう。今ではマツイやイチローもいる。ソニーの後、トヨタ、ホンダも信頼のブランドになった。

でもあの頃には、日本人は生きにくかった。
そういう意味では40年位後の今でなければ、村上もこんなに成功はしなかったかもしれない。
今になって見ると、ニューヨークへの愛惜も生まれてくる。


ともかくも村上の所業は、絵画がいいとか悪いとかではなく、注目に値する。