建築士の悲惨 Misery of an architect

姉歯問題以降の建築設計界は、今、こんな状態。
(但し、工事業者や開発業者に所属する勤務設計士、大手設計事務所の数社, トップが実質建築士でない営業設計事務所、一部のタレント建築家を除いておくほうが判りやすい。逆に言うと、一般ジャーナリストやエコノミスト、政治家、官僚から見ると、「そこ」しか見えていないということでもある)

Misery of an architect

(10日に追記あり:●部分)



多分、おととい(2月7日)の朝日新聞朝刊の「私の視点」。
建築士が責任持てる制度を」―建築の安全―と題して、山口県の職員と称する、吉本隆文氏の記事があった。


姉歯事件」をきっかけに建築基準法建築士法が大幅に改正(改正?これが後の問題になる)された後(昨年6月)、経済への影響が大きくなり大変な問題になっているが、このことは既に関係者の間では公知の事実。


吉本氏は、この混乱は国交省の言うような過渡期のものではなく、「偽装や欠陥建築などの解決にはほど遠いと思われる」という。
その1つが、二重審査により、浪費が大きくなり、責任が分散してしまったことであり、2つが「設計(図)書の審査は厳しくなったが、現場監理がおろそかになりかねないことだ」、つまり「法改正による対応に時間がかかり現場での監理はかえって難しくなったとも思える」という。それはまったくその通りであろう。


なぜそうなるかと言うと、設計事務所の不可避的な下請化と、設計料、工事監理料の低さがあるからだ。


一般には建築しようとする人は、工事をする建設会社や住宅メーカーに依頼する。そうなるとそこから外注した場合、設計事務所は下請となり、「設計士は上司や依頼者にものが言いづらく、経済性など施工の都合が法令などに優先」してしまうのだ。ここには専門性を笠に着せられた上で、とんでもない無理難題を押し付けられることも含んでいる。


さらに設計監理費の安さは「より多くの仕事を取るため、法を無視した経済設計になりかねない。それを埋めるために仕事量を増やせば十分な注意は払われない」。ここでは設計料で食われてしまえば、現場監理まで手が廻らず、いい加減いもなりやすいことをも言っている。


「この問題を解決しない限り偽装や欠陥建築問題は解決しない」


吉本氏の論点の良さは、設計者問題に踏み込んだ事である。
彼が言うには、どうすればいいかと言えば、


1・設計と施工(つまり設計事務所と工事業者やデヴェロッパー)を分離して、建築を頼む人は設計者(事務所)と直接契約すること。
2・設計料、工事監理料を設計事務所の明確な「経理に位置づけること」。
3・「工事監理者の法的位置を強化し、工事中止など強い権限を与えること」


ここには設計士の監理能力の問題は記されていないが、とても重要な指摘である。この問題はJIA(日本建築家協会)でも問題にしてきたことだ。そしてこれは法改正を伴うような大きな問題なのだが、国交省がその実体的認識に辿りついてはいないように見える。
これだけで問題が解決するとは、とても思えないが、少なくとも前段の必要な対応であるのは確かだろう。


●ここからは僕の追記だが、前述の「下請化」と「設計監理費の安さ」はこの国の根本問題の結果を表わしているということは何度も関連指摘をしてきた。それは、「ノウハウにはカネを払わない」ということと、「個人能力を価値判断ベースとせず組織力に依存」という国民的な体質によって助長されるのだ。その他、設計士が増えすぎているということも確かにある。
ここまで言うと、じゃあどうすればいいんだとなってしまうが、ここまで来ると、「設計士のためのセーフティーネット」が必要だということの意味も出てくるはずだ。このままでは日本の建築設計界の重要部分は瓦解する。そこに外国人建築家なら言われ放題という風潮も温存されれば、日本は世界中の、我こそはと主張する建築家の草刈場になってしまうだろう。


僕らが書くと、我田引水的になったり、主我主義的になったり、文章力のセッチさで、あまり大方を納得させることができないが、吉本氏のような書き方をしてくれると説得力がありそうだ。そういう意味でも引用させてもらった。


こうして吉本氏も言う。「今回の法改正は、まさに建築士にとって北風でしかなかった。ますます建築士は疲弊する。必要なのは、北風でなく太陽である」


最後はちょっと散文調で、現実の逼迫感を薄めてしまう感もあるが、まさに今回の改正は僕らを疲弊させている。冗談じゃない。もうこの国では、職人技(技量という意味より、空間性能としてのよい建築を創る能力を意味)の、いい建築の仕事はとても出来ないよ、と言いたい気持ちでいっぱいだ。

●小設計事務所が唯一、本当に良い仕事をしてゆける場は、仕事のセンスを見極めた上で、信頼してよく話合いをこなし、その上で任せてくれる建築主に出会うことだが、これが至難である。

結局、書くことは愚痴っぽくなる。あー、厭だなぁ。