「官僚共同体」 Concerning about the renovation of “Bureaucrats

官僚機構制度の根本的改革について・・・後日追記の続く学習ブログ               
Concerning about the renovation of “Bureaucrats' Complex"



このところの硬い話題ついでに、根本的なことを問題にしよう。
その一つは日本の官僚制度についてのことで、「官僚共同体」の存在が日本を駄目にしているということ。
但し、僕が今どうすることも出来ないことだから、言うだけ野暮ということもあろうが、座視しては置けないことでもある。


なぜなら、僕のこれまでの言い分と官僚制度の問題との接点を探っておく必要はありそうだからだ。
そうは思うが、難しいことなので、今後、このブログでも何回も試行錯誤することになるかも知れない。


最初に断っておきたいのは、このブログで官僚個人個人の批判をしようとしているのではない、ということだ。

個人的には知力も含め、良い人は沢山知ってきた。
ここで言おうとしているのは、まず日本の公的組織、または機構のありかたであって、次にそれを越えてあるのが官僚だけでなく、日本人全体にある「寄らば大樹」とも言うべき組織依存習性のようなものである。


はっきり言って、日本はこの300年の間、二回の大変革を経験してきたが、そのどちらも「外圧」が引き金になている。黒船襲来による明治維新と今次大戦の敗北によるアメリカの日本改革である。どうも禅譲と和の精神だけでは抜本的な改革が出来ないことが明らかなようなのだ。大きな「外圧」があって始めて、抜本的改革への取り組みが始まる。今はそれを待っているのか、自前の改革が出来るのかの試金石の時代といえよう。


こうして見ると官僚だけを責めるわけにはいかない。ただ、このことが結果的に、機構の失敗を招くことになったのは事実であろうから、放置した私たちも、官僚の方も、この社会的な責任を共同で負う必要があるということだ。



こういう視点からおさらいとしては、現行の官僚制度改革の一般的解決法案というのを見ておくことだと思う。
それには最近、格好の記事があった。


今月(3月号2008)の文芸春秋誌。堺屋太一氏の「これがゾンビ官僚の退治法だ」という記事のことだ。タイトルが脅迫的だが、堺屋氏にしてみれば、この位の言い方は欲しいということなのだろう。
以下、この記事に沿って官僚制度の改革をおさらいして見る。


堺屋氏によると、官僚の失敗が噴出した2007年は、これまでの官僚組織のほころびがいっぺんに露になった年だった。日本の現在のOECD諸国内の1人当りGDPは、日の昇りつつあった1980年に16位だったより落ちて18位(2006年)。86年から2002年までは、落ちても7位、普通には2、3位とか5位で来た。
このことは1970年代まで揺るぎないものと思われた近代工業国家観が崩れたのに、新しい文明観に則った社会システムに転換出来なかったからだ。
このことを堺屋氏は「どうして日本は、かくも短期間に惨めな情態になり果てたのか。理由は明瞭、人類文明の変化、つまり知価革命に乗り遅れたからだ。その最たるものが官僚機構である」という。
「…それから40年、『人間の幸せは、物財の豊かさではなく、満足の大きさだ』考えられるようになった。つまり、客観的科学性を重んじた近代工業社会から、主観的社会性が大切な知価社会へと転換した」からだと言う。官僚の失敗と言いきる以外、ここは僕の自論と同じ。ここに僕らの主張すべき論拠もある。


そこで、堺屋氏自らも座長代理をしている、総理の諮問機関「公務員制度の総合的な改革に関する懇談会」での提案内容を次の7項目として提案している。

①政管接触の集中管理―公務員と国会議員の接触を大臣が管理する。
②採用、育成、登用の多様多源化
③職業倫理の確立と評価の適正化
④国際競争力のある人材育成
⑤官民流動性の確保
⑥ワーク・ライフ・バランス(無意味な残業、国会待機での居残りなどを止めさせるようなことを意味する)
⑦人事一元管理機関の設立



この提案の中核部分は、官僚が中心にいて「内閣と国会の両方に奉仕し根回しをする形になっている」ことをやめさせようとするものだ。(そこには官僚と国会議員の間で、相互が互恵的に自己都合から利用し合い、時代の先端や国民の方を向いていないで進められる癒着の構造が出来上がっているからだ)
それへの対応が①の仕組みで、各担当大臣がその所轄の官庁について(だろうと推測するが)管理し、大臣の行き届かないところを「政務専門官」で補うというもの。彼らは「内閣人事庁に所属し(恐らく100人ぐらい)、各大臣の要望(や選抜)によって配属される公務員」で、「各省庁の行政ラインに属さず、官僚共同体に帰属する事がない」とする。


ここには、①の提案の実行に附帯するものとして人事管理問題へも有効な方策として、官僚でない「政務専門官」で補って行こうという提案がダブっている。こうして②④⑦に見るような提案も含まれて消化されてくると考えられる。
このシステムが機能するようになると、③⑤⑥もおのずと好転換するものと考えられている。


そこで、この「政務専門官」約100人の採用と選抜の方法が大きな問題となるが、堺屋氏はこの採用資格試験を、現行の第1種(キャリア組)、2種という大卒時の終身身分区分採用制度をやめ、最初の目安として「総合職、専門職、一般職」の三つに分け、途中の転換も可とした上で、10年ごとに「再配属」のチェック(試験)があるものとしている。
この配属適性化は「(担当)省庁の垣根(と上の三つの分野)を越えた人事異動、抜擢と淘汰、中途採用」によってなされる。こうすると、どの年代でも新人(中途採用者や一般職、専門職からの中途転換者など)がいることにもなるので、その上で三つの分野の「生え抜きを5割程度」と見て確保してゆくという。
財源についての説明はないが、多分、同じ人数分の官僚を減らすことになるのだろう。あるいは、再チャレンジして新「政務専門官」に採用されるべく受験するか、ということだろうと思うが、既存体制への安住感から官僚諸氏の根強い抵抗が想定される。


このような改革案が骨抜きにされないで実施されれば、日本は素晴らしく効率のよい、視野の広い国になるだろう。
これが「遅くとも5年以内に改革を実施するよう促している」とのことだから、国民の一人として応援し、注視してゆく必要があるだろう。


ちょうどこのブログを進めている最中、渡辺行革担当大臣が発言し、周囲が意見を言う番組があった(2月24日、サンデープロジェクト)。田原キャスターが橋本元総理の任期中に聞いたことだがとして、改革は難しいとのことだったとことわって、「役所の組織がガラス細工のようになっていて・・・」と言えば、渡辺大臣も「縦割り、蛸壺、省益で・・・」と言い、民主党の藤井氏は「政治家が役人の立場に立つはずがない(のに、役人擁護に廻る者がいる)」と言う。田原氏は「政策つくるのは役人、政治家はスポークスマン」と現状を端的に説明した。つまり、「官僚内閣制」から「議員内閣制」に戻さなければいけないということだった。
これまでに検証した懇談会答申について、藤井氏は「公務員の中立性について(の一項が)入っていない」とも言っていた。


これに対して与謝野財務大臣は官僚制はそれなりに「効率性がよい」として慎重な姿勢を崩さず、この番組の紹介でも、同じ自民党の中でもやはり改革賛成派と町村氏などの反対派(?)や慎重派がいるようで、その反対理由のメインは「集中管理がなぜ必要か」ということであり、特に伊吹氏は「人事庁(の設置)が改革とは思わない」と言っているようだ。(党内役職等については正確を期せない今は省略)


(この続きがまだあるとすれば、また後ほど記載します)