「SILK」 ―望郷の国としての日本―

―愛は運命に紡がれ、永遠となる―


  映画「SILK」 ―Japan as a nostargic country―


美しいタイトルだ。タイトルに引かれて見る。シルクと言えば「絹」だ。

やはり美しい映画だった。繊細で観照的。


日本―カナダ―イタリアの合作で、フランスが舞台の中心というややこしさながら、監督フランソワ・ジアールは頑張った。
時代は19世紀で、スエズ運河が開設される何年も前。当時需要の高かった絹織物のもとになる蚕の卵を、シベリア経由で日本に買いに行くという想定である。


ここには最近の日本への「入れ込み映画」(ラスト・サムライなど。もっともこれはいい方だったけれど)に見られるような、妙な、あるいは過剰な美意識、考証不足と稚拙な演出がふんだんにあるけれども、それを「あぁ、彼らは日本や日本人をこう見ていて、こう描きたいんだな」と受け入れてあげると、すんなり見れるものだ。


もしかすると監督が描きたかったのは、こんなに辛い日本行きを3度も実行する夫には、日本に女が居るんだなと直感し、そこから手紙という形で亭主を諌める女の怖さだったのかも知れないが、そういう見方からすると何か弱い。

その微妙な経緯は、嫁いでフランスに来たものの夫を亡くし娼館を経営している日本女性が、日本から来た手紙を頼まれてこの夫に解読してあげるという挿話で明らかになる。
実は、日本から来たという手紙は嘘で、妻がこの日本女性に頼んで作って貰った偽文書だったのである。手紙の内容で、2人の内密な愛について語った上で、私を忘れてくれと語り、自分の思いを日本の女に重ね合わせたのだった。この時、妻は病死していた。


全体は非常にスローな静止画像的展開とモノトーンな音楽(坂本龍一)で、侘び、さびの物静かな日本情緒を出そうとしていると取れた。


それだけに、異国情緒では済まされない、女の情念のようなものを描きたかったのなら、日本行きの難行をもっと、もっとドラスティックに描くべきだったろう。アムール河を下るシベリア経由の酒田行きが極めて厳しい自然にさらされていたはずなのに、美しい絵葉書的映像に近い。これでは辛苦の大きさが出ない。従って、エキゾティックな日本の女への郷愁感も薄くなりそう(山越えの撮影もどうもカナダあたりと思われる。日本に近づくに従って、墨絵のように色数の少ないものにするとかあっただろうに…)

また、妻の表情や日常の何気ない素振りの中にも、もう少し何かの合図があっても良かったのに、夫を愛して死んでゆく貞淑な女として描かれているだけに見えた。夫が病床の妻に、「実は打ち明けたいことがある」と言うのも、筋書きとしては、その予兆の仕込みが弱い。
この2人には子どもが出来なかったようだがここも描ききれていない。


ただ、日本の2人の女は、彼らから見て神秘的な美しさをたたえているように見え、よく描けているようだ。そこには谷崎(潤一郎)的な陰影礼賛の空間的たたずまいと、女たちの秘儀的な所作によって、日本の女の秘めたる魅力を増している。フランスに戻っても、はるかな国の幻影のような女の姿が魔力となって男を引き寄せる原因になっていることは描けているようだ。この女の映像が、湯煙にかすむ露天の岩風呂を通して見える、という象徴的な扱いに主力を置いていることもいい。




男優と女優はマイケル・ピットとキーラナイト・レイ。この映画の主役には合っていたが、2人とももうひとつ魅力がない。これも原因か。
日本人は役所宏司(名前再確認)、男が惚れた女が芦名星で、中谷美紀は女郎の役。ふたりとも、こういう(風に写りこむ)日本女性がヨーロッパ人好みか、と教えてくれる様なサンプル。


原作の意図がどうあれ、われわれも忘れ掛けている古い日本美の空間を思い出させてくれるものがあるのは痛く有難いことだ。
そしてそれがほとんど日本の実像ではないとしても、外国人なら「こう見たいのだ」ということがある以上、それを受け入れて分析し、利用するくらいの度量があってもよいように思えた。

例えば、雪が舞い風の吹き込むしもた屋に、悦然と正座して主人を待つ着物姿の美女がいるなんて荒唐無稽が、むしろ願望として僕らにしたってある以上、それはそれで美しいのではないかと思えるのだ。それが、芸者文化の偏向した伝わり方で、ここでも男の夢の実現のために利用されているとしても。

いずれにしても、何とか東の果ての国にたどり着きたいという願望、そしてたどり着いて見るとそこには、あまりにも違う文化でありながらヨーロッパのものよりは格が上であるような美しさが展開するという、イメージ・キャンペーンを観光に生かそうとするなら、この映画はある程度教えてくれるものがある。



最後に話は飛ぶが、ゴーギャンが最後に移り住んだタヒチから1400キロ離れたマルキーズ諸島のヒヴァ・オア島で病弱のため立ち行けなくなった時、自分を日本に運んで埋葬してくれと頼んでいたというセッティングがあることを知った。


日経新聞5月25日の「美の美」欄で、浦田憲治氏は、日系移民も多いペルーの著名な作家マリオ・バルガス=リョサが、2003年の著作「楽園への道」という歴史長編小説の中で、ゴーギャン幼年時代の6年間をペルーのリマで過ごしたこと、母方の祖先がペルーを支配したスペイン貴族だったことを明かし、日本への想いを語らせている、という。事実、ゴーギャンラフカディオ・ハーンとも1887年にマルチニック島の港町で居合わせたことがあるし、ゴッホとの交友の中でもわかるように、浮世絵に心酔していたことも判っている。


小説の中のゴーギャンは言った。
「俺の遺骨を黄色人種のあいだに埋めてくれ。それが俺の遺言だよ。あの国はずっと前から俺を待っていてくれる。俺の心は日本人なのだ」


「SILK」を見た後では、往時の、東洋の果ての桃源郷、日本の位置がくっきり見えるように思えた。