倉敷芸術科学大学に呼ばれて Being asked for a speech in Kurashik

「デザイン次元の変革」をテーマに講義した


Being asked for a speech in Kurashiki Univ. of Science and Arts


倉敷芸術科学大学に講演のため呼ばれて、一日倉敷を訪ねた(6月12日)。
倉敷といえばクラレ大原美術館。大学時代だろうか、訪ねている。その後訪ねていないのに、その時の川べりの倉屋敷のイメージはしっかりと脳裏に焼きついていた。


この大学は岡の上にあるため、新幹線新倉敷駅からはるかに南望でき、それが白い壁、南欧風の赤い屋根という見え方なので、リゾートホテルでもあるのかという外観になっている。
そのことが近づくと隔絶感を増し、通学の足や夜間下校時の防犯、いい風に吹かれて暢気になり過ぎるなど、いろいろ問題があるようで、山の上の大学の難しさもあるようだ。
とは言え、そのパンパンに学生が詰まったようでいながら、それほど大スケールでない教室群構成は、レベル差も複雑で迷路のように構成され、それがラビリンス(迷路)なりの感じのよい空間量を造っているように感いられた。設計者名は聞き漏らしたが悪いセンスでは無い。


講演は「デザイン次元の変革―どうしたら文化力で売れるか」という高級なテーマ。いわば十八番だから思い通り話せたが、当然大学1〜3年生レベルには難しいことも承知。商工会議所のような所からの聴講もあるかもしれないということで、少々当て込んでもいる。


呼んでくれたのは濱坂渉先生で、実は彼とはミラノ滞在中からの知人の関係。濱坂先生は彫刻なのだが、昨今の文化、芸術と名のつく大学の多くは、基礎造形などで互いの分野を横断して協力し合う関係にある。
この大学は私立で、科学系との2学部制。芸術学部(田村鎮男学部長・油画)は、美術工芸学科、デザイン学科、メディア映像学科の3学科よりなり、それぞれに細かくコースがある。


学生はどこでもそうだが、女子が7〜8割。そのことも承知で話したが、終わって見ると5人もの質問者がいた。どの質問もなかなか的を得ていて、優秀な学生が少なくないという印象を受けた。
一人は、僕の話を村上龍の「希望の国のエキソダス」との関連で捕らえた質問で、「何でもあるこの国で、唯一無いのが夢だ」というこの小説との接点を探ろうとしていたし、僕の今日の考えになった源流は何かという質問もあった。




この大学には会っただけでも2人の外国人がいて、一人は空間プロデュースのシュアーべ先生といい、講義にも来てくれ、夜の席にも来てくれた。彼はチューリッヒの出身なので、イタリア、フランス、そして地元のドイツと、交差点にいるだけに情報が多い。僕のイタリア経験から始まる講義から日本人についての言及に、おおいに関心を持って下さったようで、話は盛り上がった。
そこにプロダクトの大林誠先生、染色・テキスタイルの村上良子先生、濱坂先生が加わって、個人情報から大学問題、日本人問題、社会問題、国際問題とけんけんがくがく。確か「荒拍子」とかいう地元の日本酒も旨く、酒席も倉の連なるところで楽しい倉敷泊となった。


泊まりが美術館近くの倉敷国際ホテルで、知る人ぞ知る浦辺鎮太郎の設計。
アット・ホームなスケール感で落ち着くが、やはり全体に天井が低い。ちなみに通路で計ったら、2M25センチほど。今は2M40センチが当然だから、ここに時代を感じさせる。もっとも、そこに愛着を持つ人も少なくないのだろうが。
ラウンジ周りは微妙なスキップフロアで、今ではやりそうもない凝った空間の造りだった。


翌日、超快晴のなか、午前は一人で美術館を訪ね、大正ロマン(?)のインテリアで有名なカフェ・グレコで珈琲を一杯。そこに程よく濱坂先生から迎えの電話。ちょっと後学のためショッピング・モールを視察して、時間があったので彼の家を訪ねることにした。で、唖然。
というのも、ここだけ小山の頂上で安藤忠雄もびっくりのガラスとコンクリートの箱だったからだ。
この建物の成果、詳細については、明日にでも続けよう。



どうあれ、これは楽しい出張になった。


(なお講義中、どう思い込みをしたのか、自信を持って倉敷科学芸術大学とか、倉敷科学文化大学とか言ってしまった。このブログを読む学生諸君や先生方がいたら、この場を借りてお詫びします)