イームズの言葉007 What C. Eames said. 007

「革新」の真意について



イームズの言葉007 What C. Eames said. 007



007―革新は最後の手段である。革新といえば、どんなにひどいことでも許される。




どういう本意で、このことを言ったのかはよく分からない。


常識的には歴史上、革新の名のもとにいかに多くの残虐行為が行われてきたかを想定させる設定と読める。
しかし、これでは常識すぎないか。常識の言いっぱなしでは少々、無責任な感じもする。イームズがそうだったにしろ、少なくとも面白くはない。


そこであえて、「最後の手段である」ということを深読みしてみると、「革新といわねばならぬ、のっぴきならない状況もあるのだ」というところまで行ってしまうことも可能だ。その場合の「ひどいこと」とは「悪法も法なり」の類で、許されてしかるべきだ、となるのだろうか。


いずれにしても、この発言には欧米人の考え方の直接的な反応が感じられる。この言い方の強さには、それだけに「言わねばならぬ」、本当にひどいことがあるのだ、それをやる奴もいるし、この俺だって、いつ、やらないとも限らないぞ、という実感は感じられる。
ここに彼らの個人主義的な覚悟が感じられるし、キリスト教で培った、善悪を明確に裁断してしまう体質も読み取れそうだ。


言い変えると、日本人にとって「革新」は必ずしも似つかわしい言葉ではない。
個人、あるいは主体性を持った民衆という概念が輸入物である以上、「上」から指示され、あるいは周辺の暗黙の合意形成が出来た後でしか、事が起こらないことが圧倒的に多い以上、「革新」という言葉は必要無さそうだからだ。


ここでは、クリエーターであろうとする(欧米人の)人間の覚悟を読み取るということにしたい。