失った愛の決定的チャンス The springtime is never retur

青春は二度と戻らない


The springtime is never return again.
Seeing TV dramma, I remembered my case.



明日から北京オリンピック。熱気と緊張が伝えられている。


それにしても、日が経つのが早い。

数日前にイームズの言葉を書いたと思ったら、その日から、もう10日経っている。50代までの時間感覚からすると2倍くらい早い。
何を生き急ぐのかではなくて、なんでこんなに死に向かって時間がダッシュするのか、もっとゆっくりしたいのに、というのが本音だ。


普段は時間が無くてテレビドラマはほとんど見ない。
それでも時々、風の吹き回しで、予告などを見ていると、これは見てもいいな、というような番組に出くわす。


最近、そういうのが一つあった。「帽子」である。
老境にありながら、継ぐ者がいなくてまだ仕事をしている職人。
職人技への愛着とそれを支える周囲の人たち。
都会から離れ、子供達が都会に去って行く地方の生活。
思い出しても無念な、青春の愛の決定的チャンス。

これらが交錯して織り成す老人の現実と心象風景がテーマだった。
緒形拳の演技がしぶくて良く、演出も上手く、結局最後まで見た。
このストーリーは、その職人根性といい、後を継ぐ子供がいないという現実といい、どこか自分の境遇に似ているところがあった。
その上で、失った愛の決定的チャンスまで、何か似ていた。気恥ずかしい話である。


さて前半は、広島県呉市で生業する頑固爺さんの身辺ストーリー。後半は、昔馴染みの、そしてそのころ思いを寄せていた女性に東京に行って会う話。その女性は、被爆後の広島市内に入ったことが原因で癌に侵されていた。
(NHK8月2日夜9・00広島放送局制作)


この老人の青春時代の想い出。
思いを寄せた心の恋人が東京に出稼ぎに行くとなった時、呉の波止場まで見送りに行き、その場で「行くな」と言おうと覚悟した。ところが、どうしても断りきれない客の修理希望が入ってしまう。数時間で海外航路に出るというのだ。早く片付ければ何とか可能と、それをやっているうちに出航時間に間に合わなくなってしまう。


青春の一こまによくある話。
僕にもあった。恥を覚悟で暴露する。


僕にも好きな女性がいて同窓生だった。
大学にも残れず、正月過ぎになって、せかされるように売れ残った実態のわからない会社にあわてての就職。心の準備が無いままに、不安な社会生活、決まらない横恋慕。
彼女は僕の意図を知っていた。今の若者にしたら、じれったいような仕方での愛の意志の伝達はあった。しかし、僕にはこれも同窓のライバルがいた。彼女は両天秤を掛けているようにも見えた。

その彼女は、こともあろうに大阪勤務になっていた。
そして僕自身についても、もっと先には、こんなはずじゃない未来となりそうな不安があった。つまり自分の身の振り方も決まらず、まずは外国に出ようと決心していた以上、結婚や同伴行動を視野に入れるのが怖かったのだ。もっと自由でいたかったというのが本音かも知れない。
当時、就職口は広かったが、一旦そこに就職すると、一生そこで面倒を見て貰うという暗黙の習慣があったことも拘束への不安をかき立てられた。
そこには芸術家の身勝手さと、創作の核が見つかるまでは自由でいたい、という願望が強く後押ししていたと言えよう。あらゆる決断を引き伸ばしたかったのだ。


大学は社会について何も教えてくれなかった。浪人したり、苦労してバイトなどから社会の厳しさを知った学生は、それなりに準備し、覚悟も出来ていたのだろう。また予備校などで作った友達がいたり、夜遅くまで遊んでいられる都内の親宅から通っている者にはもっと情報がはいっていたのかも知れない。
しかし、僕は現役入学、地方出身者として一人浮いていた。そう、寮歌に謳われる高潔で理想を抱く志士のつもりだったからだ。


僕らは、その就職した年の初夏に、クラスの同窓会を持った。
前から、どこか不親切な気がしていた幹事の案内に後楽園のどこそこと書いてあったが、行けば分かるだろう位に思っていた。そこで、来ているだろう筈の彼女に、はっきり言おうと思っていたのだ。

僕は何かの理由で、というより、ライバルも来ているその場へ勇気をもって出掛けることに怖気づいていたのだろう、予定時間に大幅に遅れた。後楽園駅について見ると、当たり前だがどこに行けばいいのかわからない。案内の人に聞くと、人の集れるのは、そこここと言われ、炎天下を後楽園の反対側まで言って見たが、そんなものはなかった。何かを間違えたのだろう。後楽園には球場も遊園地もあったのだ。もちろん、当時は携帯などある筈も無い。気がついてみると、予定から3時間ぐらいも過ぎてしまったのだろう。僕はもう負けていた。この広大な炎天下の球場の周りで。
僕は彼女に会うことも出来ずに引き返した。これが運命だったのだ、これでよかったのだ、僕は本当は彼女に会う気はなかったのだ、などと言い聞かせて。

半年後だったかライバルと結婚したと言う話を、また半年位たった後、また同窓会で聞いた。このとき確か、僕に気を使ったのか2人の出席はなかった。彼女が嫌がったに違いないと、僕は勝手に確信した。
それからまもなく僕は、未練も無く日本を出た。


あれから40年以上がたった。
あそこで彼女と会っていたらどうなっているだろう。

あの青春はもう戻らない。