船越桂の彫刻  About the sclupture of Katura Funakoshi

そこにあるヨーロッパの目
(9月6日追記=註「青い背広の詩」が判った!)


船越桂の彫刻

About the sclupture of Katura Funakoshi


いま、東京都庭園美術館で船越桂の作品展をやっている。
船越桂については、以前にこのブログでも取り上げた記憶がある。


今回の作品展を見ていて思ったことがある。
それは日本人にとってのヨーロッパということだ。
かれの作品には、日本人の技巧を生かしたヨーロッパの心がある。
全く無関係だが、光太郎だったか誰の詩だったか、簡単にフランスに行くわけには行かない。「されば青い背広など着て町へ出てみん」というのがあった(註)。当時、多分大正期から昭和前期にかけて、一部の日本人のヨーロッパ崇拝は最高潮に達していたに違いない。
元総理の福田赳夫が、マレーネ・ディートリヒのファン倶楽部の会長だったなどというのも、このロマンの残流だと思う。
フランスのダニエル・ダリュウなどにも流れる、ヨーロッパ文化のエッセンスを秘めたこれらの女優は、日本の男を夢想の虜にした。


船越桂がこのような夢想の虜になったという気はないが、彼の父親船越保武(2002年没)がよく知れたブロンズ彫刻の大家だったことは無視できない。
「船越保武は戦後日本の具象彫刻を背負って立った何人かのひとりであり、その匂うように静謐な叙情性、無駄なものをそぎ落とした厳しい形態感覚において、父と子の精神の同質性は隠しようもない」(塩田純一・東京都庭園美術館副館長・同展カタログより)


船越保武の彫刻は、ヨーロッパの造形感覚であり、それを日本人向けに体内化したものだ。船越桂がこの世界を知らないはずがない。


作品に多く名付けられている両性具有の「スフインクス」は、そのヨーロッパ感覚をある方向に異常に変容させたものだ。それは近代以降のある種の日本人が抱くヨーロッパへの憧れと畏れを現している、と僕は見ている。
顔つきは女でも男でもあって、なく、豊満な乳房の胴まわりは女。そこでほとんどの像は終わっているが、一体だけあるひざ上までの裸像にはペニスがついている。


作品は目を大理石で作って象嵌したことにより、異様な生命感を持つようになり、他の部分を思い切り抽象化していった。
女性達の集りに講師として参加した船越桂は、これらは男を想定していると語っていたという。ついでに、何故かとの質問に「女は怖いから」と答えたという。



註:後で、この詩は萩原朔太郎のもので、「旅上」とわかった。詩集「純情小曲集」にある。街ではなく旅だった。以下に、全文を掲載する。

  旅上

ふらんすへ行きたしと思へども

ふらんすはあまりに遠し

せめては新しき背広をきて

きままなる旅にいでてみん。

汽車が山道をゆくとき

みづいろの窓によりかかりて

われひとりうれしきことをおもはむ

五月(さつき)の朝のしののめ

うら若草のもえいづる心まかせに。