イームズの言ったこと009 What Eames said: 009

イームズの言葉

What Eames said : 009


009: 近年、クリエイティブな活動に適した環境への固定観念が強くなり、創造性を高める刺激となる要素が探し求められている。この固定観念を持つこと自体、特別な問題があることを示している。


009―何を言おうとしているのだろう。「固定観念」は原文では、preoccupationになっている。英文に忠実な直訳的意訳では「先回り心が占められること」であり、「固定観念」より、むしろ「(先回りによる)思い過し(や心配)」の方が現状感があるのではないか。
そこから「先入観」や、「最も気がかりな事」になろう。
恐らく、イームズは「実態的な成長と自己把握」の必要を言おうとしたのではないか。つまり、市場の動向や、それ受けを狙った戦略を意識したデザイン環境にあって、そういう枠の中で、創造性を高める方法発見のためのインセンティブが求められているとのデザイナーの理解があるが、そうではない。そういう問題意識を持つこと自体が問題なのだ、と言おうとした、というように受け取れる。創造性は内在的なもののうちにある、つまり自分の内にある、ということだろうか。




010:目的に同意できない仕事は引き受けるべきではないし、別のことへの足がかりとして仕事をするべきでもない。これを守れば、自分の経験を存分に活かした仕事ができ、惨めな思いをすることも無い。


010―009と呼応しているようなフレーズだ。
この言い分からすれば、009の解釈は変でもない、予備句のようにも受け取れる、ということになろう。
イームズ精神主義的主体性の面目躍如というところだが、こうしていて仕事がまったく来ない、と言うこともあるだろう。
その場合はどうするのか。死ぬか、全く創造性とは関係のない仕事をすべきだ、と言うのだろうか。
「創造的主体性」と経済生活の線引きは難しい。

田中一村(名前確認)は奄美大島に移り住んで、さとうきび工場かどこかで働いてボロ家に住み、残りを全て絵に賭けた。一村が自分の絵に、前衛性と時代を超える感性の点で、深い自信を、というより、それに賭けるしかない画境を見出していたのは事実だろう。日本のゴーギャンとも言える。
こういう創造環境は純粋芸術で語られることで、これをイームズがデザインにおいても主張したとしたら、以下を承知していたということか。
デザイン制作は精神を反映する。
デザイン行為は基本的に経済行為ではない。
どこまでが同意できるかも含め、僕には判断しかねる問題だ。
だから「惨めな思い」をしているのだろうが。