近況報告というべきか…

雑然と追い詰められて、忙しいだけの日々か

10月14日追記あり。●印句


近況報告というべきか…



ここには取り上げていないけれど、このところ原稿書きに追われている。JIDAの「プロダクト・デザイン標準テキストブック」、デザイン学会の松岡慶應大教授企画の論文発表、小田原市への提言…。


原稿書きが本業ではない。ところが受けてしまったことには責任が生ずる。やってみると、随筆みたいなものではないので、簡単ではない。本当に難渋している。


今日、JIA港地域会で、ホームページの立ち上げについての集会があった。
話合いを始めるより、ブログでコミュ二ケーションを取り始めるほうがいいという提言をした。仲間内で機関誌など出すくらいなら、外部に向かって情報発信した方がいい、という松田平田の宮田さんの意見、僕と同じことを言っていた今井さん。共感だった。


今、やっている住宅設計はそろそろ一段落。構造の計算書待ちで確認申請へ。


建築家仲間の治田さんから、このところよく電話を頂く。その訳は僕の行状をよく知っていて、有難いアドバイスを下さるからだ。
要旨は、才能と社会的条件が揃っているんだから、スタッフの給料などに気兼ねしないで、個人でもっと自由に創作活動をやったほうがいいんじゃないか、というもの。それって、事務所たため、ということ?
そこまでの意見かどうかは聞き漏らしたが、誰に聞いても事務所運営は急速に逼迫しているようだ。自分でも、こんなにわがままで、よくやれて来れたと思う次第。極度の不景気の到来となれば、喫緊の課題にはなってきた。


ソニーの渡辺英夫さんが、過日亡くなられたと、JIDA事務局長の栗原さんから連絡あり。とっくに退職はされていたが、ここ7、8年、音信不通だった。ご遺族で密葬にしたので公知されていないのだそうだ。近々、忍ぶ会が予定されているそうで、その時にご挨拶しよう。
実は日本コロムビアで、渡辺さんは上司だった。その後、僕はアメリカへ、渡辺さんは部下を引き抜いてソニーに移り、これも亡くなられた黒木靖夫さんとタッグを組んで、ソニーデザイン時代を創ったといういきさつがある。
●誤解の無いように付言すると、僕が理事長時代に、「黒木氏がソニーのデザインを仕切ったというが、とんでもない。それは僕らがやったのだ。JIDAで訂正発表出来ないか」と、わざわざ電話をしてきたOBがいた。因みに、黒木氏と渡辺氏は同じ大学の先輩と後輩の関係だ。


そう言えば、住友海上火災(当時)の社長、会長であられた徳増須磨夫様も、最近亡くなられた。この会社とは、徳増様の現役時代の7、8年間になろうか、イメージ・ポリシー開発の顧問をさせて頂いたという関係にある。
おまけに別荘の設計まで頂き、今、想っても、奥様共々、本当に良くして頂き、いい時代だった。こちらも忍ぶ会がある。

過日、偶然でもないだろうが、住友海上が建てた名古屋の大きなコンサート・ホール「しらかわホール」館長の突然の訪問を受け、三井住友海上が引続き、この立派なホールの維持・監理をしてゆくことになり、僕のデザインした「しらかわホール」サイン文字を引続き使用したいので、とあいさつされた。
「しらかわホール」の創作ロゴは自分でも気に入っていて、嬉しい話だった。但しイニシアルのSHを変形させたマークは、メセナ(社会奉仕事業)とは言え、会社のブランド・マークを強く出すことになったので使わなくなるとのことだった。残念だが仕方が無い。


昨日、家内の母に相伴して、カリフォルニアで開業されている神経科の北野医師ご夫妻と、うかい邸(東京タワー隣)で会食。アメリカの医療制度と日本のそれとの差が話題に。
この店の創りは凄い。和風の良さをあます所無く出している。よくこんなところでというもの。


明後日11日(土)はは小田原の自宅で、「和の伝統論議」―昭和の生活を検証しつつ―のセミナーを開催する(午後2時より)。宇都宮美術館学芸員橋本優子さんをお迎えする。


やはり、何だか拡散していて、忙しいだけの人生になっているようだ。