建築家宮脇壇の二番煎じは止める?Stop seek after the work of Mayu

マニアックな点で親近感と敬意を払っていたので…



His maniac details caught my heart, but it seemed already had done by him.

1950から60年代にかけてだったろうか。建築家宮脇壇(まゆみ)さんはよく知られていた。


宮脇壇さんとは3度ほど逢ったことがある。一度は僕が28の頃、YMCAの建築士養成講座で彼が講師だった、次の一度は訪ねたのだったと思う。この間の10年は僕が日本にいなかった。もう一度は僕たちの結婚式に来て頂いた。
今頃、元気でいらっしゃれば、もっと親交を深められたのかもしれないが、帰国後の生活の激変で、彼を訪ねる余裕が無かった。そのうちに悲報に接してしまった。

今、なぜ宮脇さんのことが思い出されたかというと、先ほどまで息子と食事をしていて、ブログの内容にもっと住宅の体験話を出した方がいいのではないか、との意見を聞いたが、その時、思い出したのだ。

宮脇さんの建築談義はほとんど他人事で無く、僭越だが代わりに自分がお話してもいいようなことだ、との自己合点があった。
そして思ってきたのだ。今更、宮脇さんと同じことを言ってもしょうがない。もう、こういう話は彼一人でいいんじゃないか、と。
そうなると、戸袋の仕様や、建具、窓の話、さらにはプランの面白さなどについて語ることが出来なくなってしまったのだ。
そのことを思い出したのだ。


そう言えばこのブログでは、住宅の、あるいは建築の面白さや、ディテールの紹介や、自分のやった仕事のこだわり部分についての話はほとんど触れて来なかった。それについては以上のような思い込みがあった。


しかし、よく考えて見ると、こういう話がない建築家の意見は、一般には通りにくいのかも知れない。
それにしては、ここしばらくの時代経過だけ見ていても、自分で工夫するディテールよりも、メーカーの市販する部材を見つける方が手っ取り早くなってしまったような気がする。それは事実だろうが、その分、こちらも意欲がそがれてきているのが実状だろう。これは建築家の世界にとってゆゆしきことだ。

ともかくも、いくらかテレがあるが、もっと素直な気持ちになって、こういう種類の話を加えていくようにしようと思う。