原美術館での午後のひととき At the Hara Art Museum by afterno

日本も文化国家? 語らずにたたずむ昭和初期


Is Japan the country of cultural authority too?
The museum stand itself as a memory of early Shouwa period without talking anything.
My impression about The Hara Museum at Sinagawa,Tokyo.





日曜日の午後、薄ら寒い日の東京品川の原美術館
展示しているジム・ランビーの「アンノウン・プレジャーズ」が見たくてでなく、奥方がここで昼食を、と言い出したので行った。
ここのランチはかなり評判で、枯れた庭芝を眺める曲面の小レストラン(カフェ・ダール。近年の増設のはず)は若い人たちでいっぱいだった。


この美術館は確か1938年に建築家渡辺仁*が東京証券銀行頭取の依頼で建てた建物で、曲線の平面を持ついい建物だ。薄青緑のモザイクタイルの外装をはじめ、当時いかにモダンだったかが今になってもよくわかる。近くにある、庭園美術館アールデコの風格とその規模はないが、ソナタのようなやさしさと親しみ易さで訪れる人を誘い込む。
1938年といえば、昭和13年。太平洋戦争の始まる3年前だ。まさに日本が風雲急を告げ始めた頃だ。よくそんな時代に、このような心のゆとりがなければ出来ないような建築が出来たものだ。もしかすると、と邪推すると頭取は、戦火に向かう国の流れを見て、財を持っていてもしょうがないとでも考えたのかもしれない。


それにしても、と改めて思う。
大正ロマンと言われた、日本文化の洋風化が最後に行き着いた世界がここにあるのではないか。
勝手な推量も入るが、ここまで来ていた自然な洋化の取り込みは、もし軍部が画策して無茶な戦争に飛び込まなければ、じっくり開花し、今頃は僕らがこんなに文化の虐待で苦しまないですむような社会になっていたのではないか、と。
そういう目でこの建物を見ると、一層いとおしくなる。


雰囲気と言えば、来館者がほとんどヤング、多分、大学生やヤング・カップルレベルで、それでいて皆なかなか、しっとりとしていて態度もいい。よくみれば、彼についてきたり、女性同士でも、少なからぬ人はかなり美女で、ファッション・センスも悪くない。
日本も文化程度は低くないのだな、と変に実感してしまいそうなひと時だった。


肝心のインスタレーションだが、やはり感心しなかった。僕に言わせればこれはデザイン大学の卒展レベルというべき。それだけに大学生には共感と身近さを感じるのだろうが。
「(美術館で広がってゆく時空は)…バンド活動やDJを続け、音楽に浸って暮らすランビーの、『音楽をかけると、いろんな境界がなくなっていくように感じられるよね』という感覚とも重なるでしょう。知覚のメカニズムによって、私たちの行動や精神のしばりが一時消滅し、いききとした生に変わる――そんなライヴ感が、ランビーがたどり着いた境地といえそうです」(同館チラシ評)という「説明」はよくわかるけれど。

渡辺仁:東京国立博物館(上野公園内)、旧日劇などを設計。