AR4  東京都現代美術館で

AR4



+/−[the infinite between 0 and 1] by Ryoji Ikeda という展覧会


凄いなぁ、という実感。どんな人だろう、後で調べてみよう、という気持ち。
久しぶりの川向こうの東京都現代美術館での、池田亮司という人の作品展。
あっと思ったのは、1960年代のグラフィックデザイナーとしての杉浦康平を見ていた時、杉浦は将来はこのような仕事をするんだろうな、と想定していた自分を思い出したからだ。
白黒だけ、グラフ・チャートだけ、ドット、ライン、数字のレイアウトだけというコンピュータ動画表現作品である。
たとえば、縦横1mほどのアルミ板に、これも縦横に隙間無くプリントされた1mm角程度の数字(円周率とか)がびっちり並ぶ。
これは静止画像で動かないが、ある種の超絶した美しさだ。


ただ、これらをしばらく凝視しているうちに、言いようの無い気持ちになってきた。
確かに面白い。現代の最先端ではあろう。
しかしこの、どこを見ても、いわば宇宙船内の無限に動くグラフィック・ディスプレイのような空間は、無感情に、というか、リリカルでとても空間的な深みも感じさせるのだが、それがどうも人間の仕業のようには見えず、絶対的な時間の経過を重ねるだけのように見えるのだ。
これは確かに前衛アートで、誰かやらなければならない仕事だが、これはもう池田氏一人でいい。同じことは、写真作家の杉本博司にも言える。
そしてこれらは見ていても心を安らかにはしてくれそうもない。


(同時にやっていた「トーキョーワンダーウォール公募2009」展も大したことなかったが、113点のうち3点ばかり、出色の作品があった。
梅沢和木ラヴォス」(アルミ合板、携帯電話デコシール、アクリル、ペン、ラメ糊、油絵の具、油性蛍光塗料による、繊細で多色なスクラッチ風画面)、池田衆「until that time when it meets sometime」(カラー写真、コラージュ=印画紙面をカッターナイフで葉の形に添ってこまくカット)、山上晃葉「アナフェイズ」(布にリトグラフ、綿、布を裸体の人体フォルムのレリーフにしたバルーン)先の2点は受賞している)


見ていたのはほとんど、大学生と見える青年男女たちだけ。こういう評で申し訳ない。
たしかに自分の学生時代の杉浦賛美を思い出すと、何も言う資格もなさそうだ。