AR8  それでも恋するバルセロナ

AR8


それでも恋するバルセロナ


映画評がいいというので見る。結果、5つ星満点として3点。
ヴィッキー(女優名不祥・演技力まあまあ)を理性によって動く女に、クリスチーナ(スカーレット・ヨハンソン)を自ら苦い恋にも敢然とぶつかってゆく女に、というように、性格の違う、それだけに助けあう仲の良い2人の女友達を最初に紹介し、バルセロナ行きが始まる…それなのに。
予想通り恋多き女たちのひと夏の物語なのだが、カタルシスを感じない。
何故かは分析が難しい。
バルセロナという設定はいいのに、とても欝憤が残る。


ウッディ・アレン監督というのも、この場合、難しかったのではないか。ユダヤ人の彼にはラテンものは描けない、ということかもしれない。
次に物語もだいぶ進んで、後段になって出てくるぺネロぺ・クルスはミス・キャスト。
貧乏な売春婦がぴったりで(これでアカデミー主演女優賞?というのもお笑い)、いくらラテンの女といっても、抽象画を描くインテリであるはずの女流画家の恋狂いには向かない。
主役の男とクリスチーナはまだいい。


後段の、ヴィッキーに火遊びになりそうなけしかけをする女の設定も、リアリティがなく余計な話。そのヴィッキーと結婚した男も、馬鹿正直なアメリカ人過ぎて、面白みがないどころか、嘘っぽい。
筋書きそのものも、あまたある男と女の物語のリメイク、寄せ集めでしかない。


理性が勝って理性にしたがって動こうとするアメリカ人に対して、人生の無意味、そこからの享楽に命の意味を感ずるスペイン、フランス、イタリアなどの国々の人間との対比を描こうとした意図は、これとて陳腐なことだけど、それはそれで悪いものではないのに残念だ。


要するに、バルセロナで恋を描くなら、徹底的に楽しく、悲しく、深く、生々しい、ドラマティックな感興を誘わなければ、ガウディも泣くというものだ。