H@美しいまち山形県金山町

【情報】(追記、書き換えがあります)


「何も変わっていないじゃない」と言われて、「ああ、良かったと思った」。


――国土交通省「2010年美しいまちなみ大賞」受賞をふまえて――
   美しいまち山形県金山町のなりたち


このフォーラムを聴いて、感じたことを記しておきます。但しまだ訪ねていません。また途中から聴いたので、以下に述べる3人や他の建築家の設計になる、建物、施設、橋梁、堰、遊歩道などについては、フラッシュ・バックのスライドで一瞥出来ただけでした。


「ああ、良かったと思った」のは住吉洋二さん(東京都市大学教授)。
訪ねる度に変わっているようなまちづくりは、最初から考えていないから。「何気ない」環境づくりが大切と考えてきたという。
おそらく30年近く、この町の「まちづくり」に関わってきた者の意見には、深く傾聴に値するものがある。
いきさつは三羽カラスの一人、私の知人の林寛治さん(林寛治設計事務所主宰)の母方の故郷とか聞いたが、そこに町との関わりの出発点があったようだ。
もう一人は片山和俊さん(東京芸大名誉教授)で、この3人がタッグチームを組んで、金山町の専門委員として取り組んできた。
3人は東京芸術大学建築科の先輩後輩関係にある。こういうことも影響があるはずだ。


住吉さんによると、賞を取るまでに至りえた事については、次の要素があるという。多分、これが地方地域のまちづくりの根本的鉄則なのではないか。


1・金山町に「素質」があった。(地域性=気候風土自然地勢など、交通、都会との距離、7000人という人口、行政の進取的精神、住民の感じ方・考え方などについて、ということだろう。地勢については山形県の最北部、新庄市からの国道13号で町に入り、トンネルを抜ければもう秋田県という山あいにある)。
2・この町に1つだけある中学校のため全員が同窓生。また市町村合併の経験はない。まとまりは抜群。(問題検討、実行力のある住民たち。住民の協力がなければ何もできない)
3・3人グループとの出会い。また「素質」をうまく捉えた3人組の価値観も含まれよう(大倉付記)。
4・参考にし、見学会などを催してきたのはドイツの例だけ(ダルムシュタット近郊の森、オーデルバーグに点在する小村、ミッシェルシュタットなど)。他の国には行っていないし、参考にしない。(行動に主体性のある町長の存在と、イメージ拡散を防ぐ覚悟)
5・100年計画の住民了解と実践。


ここで浮かび上がってくるのが、「まちを愛する人を生み出す仕掛け作り」(林寛治氏)ということ。それがまちづくりの核心だろう。そのためには市町村の行政主導からでなく、隣近所のつきあいから、という。つまり、机上のプランなどではないのだ。
例えば、起った問題に対して決めるのを待たせて、住民がどうしてかと考え、議論を起し、そこから関心とやる気を引き出すなどの「戦術」が取られてきた。


また、「まちなみ」は「(都市の)景観」ではないとも言う。つまり、通りの眺めなんかではなく、まち全体の親和性と輝きのことだからと。このために「真珠のようなまちづくりをしたい」という訴えかたは良かったと話していた。これで住民も何となく判ってくれ、全員参加が可能になったのだそうだ。
それにしても、もちろんこの3人の考え方、努力と忍耐、協調精神も大きかったに違いないが、3人を形だけの専門委員にせず、住民との対話の場の主導者にして来た町長以下、町役場の人々や住民代表の人たちの考え方に敬意を表さずにいられない。


最近、町が各年令世代の住民に問うたアンケートでは、何と現役高校生の7割が、一度はこの町を出ても戻って来て住みたいと答え、世代を通じて最多だったという。


みなさん、訪ねてみたい気持ちになりませんか。郊外に「シェーネスハイム金山」という、アルプス山岳ロッジ風6階建ての立派な滞在型ホテルも出来ています(T:0233-52--7761)。


このフォーラムは日本建築家協会(JIA)東京城南地域会(松本裕代表)の主催で、ここも、我々の港地域会と合わせて関東甲信越地区にある14地域会の一つである。90人も集まり、建築家以外の一般人も多く、なかなか立派な集会だった。(9月10日、東京目黒区大岡山の東京工業大学蔵前会館にて)