BDE@塩野七生のフリーター救済論

【情報】】(あまり、建物を建てようとされている方々向きの内容ではありません)


フーン、いいところに着眼。さすがは塩野七生さん。



パラパラとめくっていたら、「自尊心と職業の関係」という一節にぶつかった。(「日本人へ・リーダー編」文春新書)
職能人(プロフェッショナル)の救済問題は本ブログではすでにお定まりのテーマだけれど、 このタイトルだけからするとまたお硬い話と取られそうなので、 周辺事情から一言説明すると、 これが自分の主題になったのはプロ集団の社団法人理事長を6年やったことと密接に結びついている。 さらにその後のNPO法人でもこの問題を追いかけている。 よくわからなかったが、段々と現在のような問題意識になってきたのだと言える。
更にちょっと私事にもなるが、自分の息子の就職活動と、そこからの離脱を間の当たりに見てくると、現在の大卒者の行方に劇的な変化が生じていると感じている。そこからの観察も含まれてくる。



例によって塩野さんは自分が辿り着いた「失業問題」を、「ローマ人の物語」の第3巻執筆中での問題意識から取り出しているが、それを現在の日本の問題に発展させている。
「失業問題」は、 職能人(プロフェッショナル)の救済と同じと一直線には言えないかもしれないが、 聞くに値するものがある。
現在、職能人をフリーターとは言わないだろうが、実質、職能人はフリーターでありたいと願っているだろうし、 以下で塩野さんがいうフリーターとは、職業的知識を身につけているという暗黙の了解の上でのフリーターであるのは明らかであろう。
長くなるが、関心のあるところを文意を損なわない程度に、拾い読み風に転記してみると次のようだ。


――…それまでの私が、職を失うということは生活の手段を失うことだとしか、思っていなかった…(それがインタビュー番組でイギリスの作家のケン・フォーレットが、労働党を支援する理由に失業問題を重視しているから)と答えた後で、次のようにつづけたのである。
「人は誰でも、自分自身への誇りを、自分に課された仕事を果していくことで確実にしていく。だから、職を奪うということは、その人から、自尊心を育くむ可能性さえも奪うことになるのです」
眼からウロコとはこういうことかと…痛感したものだ。


古代ローマのリーダーたちの目指したのは、健全な中堅層の確立であったのだ。
…古代のローマがわかったのならば、 古代ローマに現代の失業問題の解決の糸口を求めるのも可能ではないだろうか。 つまり平民の権利を守るために置かれ、 グラックス兄弟も就いていた、「護民官」という役職を、 現代の日本に復活してはどうかということだ。 ただし(私が言う)現代日本の「護民官」が守る対象はフリーター。 非正規の労働者として分類されているこの人々の社会的経済的権利を確立し、同時に義務も明確にすることである。…
(景気が上向き始めると)フリーターを正社員化するという方向に話は進みそうに思える。だが、全員が正社員というバブル時代のような現象は、もはや二度とありえない。ならば、時代の後を追うのではなく、時代は先取りしたほうがよい…
フリーターを二級の労働者と見なすのではなく、正社員と並行する、しかしカテゴリーならば別の、いずれも同じ水準の労働者と公認する考え方である。両者のちがいは…終身雇用か契約関係かだけであって、どちらを選択するかはその人の自由。
そのうえこの両者間の流動性さえ保証されるようになれば、状況はより理想的になる。フリーターは意欲に欠けるという人がいるが、社会的に認められることなくして、どうやって意欲的になれるだろう。私だって、読まれないとわかれば書く意欲も失せる。――


「就職でなく就社」の現在、個人というものが確立しないまま、会社中心主義となった事情は簡単には変えられない状況にある。
しかし、フリーターにまで追い込められた若者たちにとっては、待ってはいられない。先回り、この塩野さんのような考え方を、法のもとに整備していかなければならない。