B@東北の先生から

【情報】

日本デザイン学会ED(EnvironmentalDesign)部会へのメールから


この破壊の局面にあって、ED部会(長谷高史主査)にあったメンバーのメールを、杉下哲委員の協力で、ご本人の承諾を得て転載させていただきます。


すでに述べてきたように、デザイナーに何が出来るかと深刻に考えさせられる事態になっており、表面的なお悔やみや物的応援の問題ではないと感じつつも、被害現地の生の心理を図りきれるわけでもなく、ではどうすべきかについて何も打つ手が見つからない状態が続いています。
こういう時に現地の小地沢先生からのメールを拝読し、実感としてうなづけるものがありました。
以下にご紹介します。



日本デザイン学会の役割を考える 〜東日本大震災から1ヶ月
東北公益文科大学地域共創センター長 小地沢将之


 このたびの東日本大震災では、全国各地の皆様から東北地方への多大なご支援を頂戴しております。ここに感謝申し上げます。
 3月11日の震災から1ヶ月が経過しましたが、被災地にはテレビで見るような復興の息吹とはほど遠い現実が重くのしかかっています。被災者はみな、東京のマスコミが報じる報道と現実の大きなギャップに違和感を感じながら日々を送っております。少しでもこの溝が埋まればと思い、ここに一筆を寄せさせていただく機会を頂戴しました。  
 マスコミが報じる被災者の想いは「毛布が欲しい」「温かい食べ物が欲しい」「家が欲しい」と「モノ」を欲することに終始しているように見受けられます。これに呼応するように被災地にはたくさんの救援物資が届けられ、あるいは全国各地から二次避難の住宅提供の申し出があります。しかし被災者は単純に「モノ」を欲しているわけではありません。これは言葉数が少ない東北人の奥ゆかしさなのかもしれませんが、本心は「家族と一緒の時間を取り戻せないだろうか」「漁を再開できないだろうか」「生まれ育った地でこれからも生きていけないだろうか」という当たり前の「コト」を求めています。私たちデザインの専門家は当然のことながら、「コト」を生み出すために「モノ」のデザインをしているわけですが、多くの国民には「コト」と「モノ」の関係は見えないため、被災地は「コト」なき「モノ」によって溢れかえっています。
 被災地では、「支援」から「復興」の段階へと移行しようとしています。仮に復興によって元通りの「モノ」ができたとしても、それは“少子高齢化や産業の衰退が著しい地方都市”を復活させるだけになってしまいます。今こそ日本デザイン学会の会員の皆様の英知により、50年後あるいは100年後にふさわしい「コト」を創造する作業に取りかかれないでしょうか。
 今回の震災では、私たちが自信をもって社会に送り込んだデザインの不完全さも指摘されています。聴覚障害者に津波襲来を光と文字で知らせる警報機を住宅に設置していたのに、住宅の外にいた障害者には役に立ちませんでした。避難所となっている学校では十分なバリアフリー対応がなされておらず、車椅子のお年寄りを介助しようとした住民が階段でお年寄りに大きな怪我を負わせてしまいました。日本が世界に誇る自動車は、避難の際には渋滞を生み、多くの命を奪う原因となりました。また長い間、ガソリンの供給が止まれば、自動車は何の役にも立たないことを私たちは目の当たりにしました。リスクマネジメントの観点からは、「モノ」単品のデザインでは十分に対応しきれず、やはり「コト」からの視点が不可欠なのでしょう。
 4月7日の余震によって、極限まで無理を強いられてきた被災者の心は折れそうなところまできています。そして想定される宮城県沖地震は、あの大きな余震よりもより大きな規模でやってくることが約束されています。被災地において「モノ」が大きな労いにならないという現実を、デザインに携わる私たちがどのように受け止め、社会の中でどのような役割を負うべきか、真正面から議論すべき時にあるのだと感じています。