E@「現職議員を選ばない」続き

【論?】  ●以下、11日追記


なぜ現職議員(そして、そこから選ばれる閣僚たち)が問題なのか


本当の問題は、閣僚が官僚をうまく使いこなす、言葉が悪ければうまく活かすことにある。
そのためには、閣僚が官僚より知恵がなければならない。
それが現実は逆だからだ。閣僚に自信が無く、官僚にすり寄っているのだ。
それは河村名古屋市長によれば、そこから高い給料を貰える「家業」(「稼業」かも)になってしまっているからだ、という。安定職業化に努めているわけだ。
だからポストを与えられても、理念より(というより、理念も無いから)人脈となってしまう。


…鳩山政権がやったことは真逆だった。政権交代前、農水省の次官は、民主党マニフェストに書かれていた農業改革を公然と批判していた。政権誕生後、お互いに政策論争をしたのならまだしも、農水の次官が掌を返して「誠心誠意やります」というと、赤松広隆農水相は即座に、「ぜひ、一緒にやってくれ」と応じた。これでは完全に役人のご機嫌取りである…(「日本中枢の崩壊」古賀茂明:講談社:P190)


例えば、こういうことである。●せっかくの民主党政権の立ち上がりに、こういうことを始めているのでは、後は総崩れの準備を始めたようなものだ。
票とカネと名誉だけ求めている議員ばかりになってしまった現状は、もとを辿れば
やはり国民の方に問題がある。


●しかし、国民には判り切れなことだから、議員に依頼する国政ならば、やはり議員の質を問うことは避けられない。
良く考えれば、この適切な議員を選べないことが、すでに日本の構造的な問題を示していることに気づかざるを得ない。

多くの議員は、専門職の経験がないばかりか、省庁周辺の要職を経て築く人間の扱い方や、官僚のメンタリティの把握などを学ぶ時間も場所もないのが実情だろう。
40歳から入る議員養成学校とかの類でもなければ、現在の錯綜した社会構造、複雑な技術社会、またアメリカンナイズされた戦後教育の申し子であることの反省などを、高い位置から客観的に学ぶ余裕もないのは見てとれる。
ここからもこの国は何とかしなければならないのだ。