B@学生や一般人への講演の背景

【論・情報】


今、デザイン学生や、デザインに関心を持つ一般人に講演する内容について思いを巡らせている。


なぜ学生中心への講義・講演で、これほど注意が必要なのかといえば、彼我の落差をどう埋めるかについて、細心の注意が必要だからだ。
簡単に言えば、学生に夢を持たせなければ、何でこの将来職業分野を選んだのか分からなくさせてしまうからだ。それは同類人脈の枯渇を意味する。
逆に言うと、デザイナーや建築家になる現実は極度に厳しい現実にさらされているのだ。


今、考えていることは、「就職であって、就社ではない」ことを気づかせること。
次に、「ある時点から先は自ら経営者になれ。あるいはそのつもりで研究せよ」ということだ。
「経営者」という言葉に慣れていない学生には拒否反応を示されるかもしれないので、
「お金で動いているこの社会で、お金に振り回されないように、お金の扱い方を学んでゆく仕事」とでも言おうか。
その際に、好きな事、多分アイデア・プレゼンテーションをサポートするためだ、というのを忘れてはなるまい。


こういうことを考えている際に、面白い(正確には含蓄のある)ことを言っている、既引用書のある下りがあった。それは、話題が大きくなってきていると思われる、経済産業省大臣官房付となっている古賀茂明氏の「日本中枢の崩壊」にあった。
すこしづつ本題から離れてゆくが、お許し願いたい。


「私はこれからの日本にとって重要なのは、頭を使って働くことだと思っている。日本では労働信仰が強く、一生懸命汗水流して働けば、豊かになると信じている人が多かった。確かに過去、それで経済が伸びたが、そうなったのは、1998年まで、労働人口が増えていたからである。
人口減のいまは、闇雲に汗水を流すというやり方をしていると、たちまち国際競争に取り残される。それでなくとも長時間労働信仰は、子育て、ボランティア、地域活動、政治活動などの時間を奪い、社会全体のバランスを崩す。」


これは全く賛成。ともすれば意味の良く分からない就労を自らも賛美しかねない現状にある。特に若者に向かっては、経験の付加が人生を深めると思いこんで、何でも必死にやれと言いかねない自分がいる。
さらに古賀氏は自らが中国人経営者から聞いた話を続ける。


「『日本人は中国人に勝てない。なぜなら、日本では管理職や経営者までが汗を流すこと、会社に拘束されることが美徳だと思っているからだ』
『労働者に生きがいを与えて…(そのために汗水労働が尊いと)…教えるのは当然だが、経営者が同じことをしていたら競争に負ける。労働者の生活も結局は良くならない。…』
『日本人は何をするにもみんなで寄り集まって夜まで議論して結局決まらない。中国の経営者は即断即決。…』


後はだいたい判る。
さらに学生中心への講義・講演内容から離れてくるが、ここで古賀氏は慧眼(炯眼)なことを言う。
「…日本人がいまそこはかとなく、中国に抱いている恐怖は、勤勉であれば競争に負けないという神話が崩れつつあることに起因している」(以上P334〜335)


ところで、こんな生な話を直接、学生にぶつけるのではない。
これは話の背景だ。
言い方を変えて以上のことを考えてみると、デザインするということは、実にこれからの経営者的な直観的判断に近い、ということだ。しかも、命を賭けるほど楽しくなければ意味がない。
その意味では、イタリアでの体験を語ることも、彼らの目を輝かすことにもなろうか。
実際、自分の経験では、イタリアの経営者はもちろん、労働者でさえ、即断即決はともかくも、汗水労働や勤勉がいいなんて考えている者は一人もいないのだから、はるかに中国人経営者的になっているのだ。


ちなみに、私が呼ばれているのは、建築家でプロダクト・デザインが解る人、実践してきた人はほとんどいないからだそうだ。
まさしく、この大学のこの学科は、私の歩んできた道をそのまま学科にしたようなものらしいのだ。




学生、一般人への公開講義予定を参考までにお知らせします。

テーマ「自作を語る」
7月1日(金) 午後4時半〜
主催:日本大学生産工学部創生デザイン学科
千葉県習志野市泉町1−2ー1:京成本線大久保駅下車(京成津田沼駅の次)徒歩10分
(〒:275−8575)
T:047−474−9780(学科事務室)