忘れた青春の瑞々しさ

【情報】  ●「青春」への参考追記あり。最後尾参照。



自分が忘れたのか、青春の瑞々しさ


私の高校時代に、「我が青春のマリアンヌ」を見た教師が、「あの年になって、こんな瑞々しい映画が創れるのは凄いことだ」と、監督のジュリアン・デビビュエのことを言ったのをいまだ忘れてはいない。
あの時の、確か社会科の(授業の始まりに、この分野でもなさそうな先生が唐突に話しはじめたのだ。それで印象も格別なものとなった)、あの先生はいくつだったのだろう。60才位だったのだろうか。そうでもないと、デビビュエの老域がおかしくなる。
あの先生、あの教室、あの青春…
「瑞々しい」とはどういうことだ。
それは図らずも、今日見た知人のゲラ原稿で再発見したものだ。


JIDA(社団法人日本インダストリアルデザイナー協会)というのはこれまでに何度か書いたことがある組織名だ。
「インダストリアル」という言葉がもう古いのではないか、ということで、関連する世界的連携機構ICSIDでも問題になったことがあるが、結局そのままになっていると思う。
それほどインダストリアルデザインという言葉は、輝かしく、国家産業に密着し、変更し難い言葉だからだ。
当時、理事長をしていた私は、「インダストリアル」が「工業」でなく「産業」とも訳されているのだから、これで十分という立場に立っていた。
しかし、JIDAでは昨年出版したインダストリアルデザインに関する、おそらく世界でただ一つの包括的教科書といえる本が議論の末、結局、「プロダクトデザイン」という書名になった、といういきさつもある。


こういう経過を持つ団体だが、今度名誉会員の称号を贈るので機関誌に一筆をと言ってきた。
名誉会員といっても、一定の会員歴と年齢になれば貰えるのだが、年もばれるし、どうしようかなと思って書いたのが下の文章だ。


ところが、昨夜ゲラが送られてきたの見ると、同世代の黒川威人君(元金沢美大教授)の原稿が、「デザイナーは造物主」というタイトルで隣に並んでいた。
読んでみると、美しい文章だった。


彼は、母の思い出と共に自分の郷里を語り、当時からベートーヴェンが大好きだったそうで、「田園」などをますます好きになってきたと言う。
配布前だが、失礼して先取りしてしまおう。


「…この世のほとんどの人工物に関わるデザイナーは、現代の造物主であるはずだ。
花や美しい風景などの自然が、人を感動させ、慰め、喜ばせるなら、人工物もまたそうであらねばならないはずだ…」


ちょっと僕には気恥しい気持ちになる、正直さ、美しさだ。
事もあろうに、今朝、港地域会(JIA日本建築家協会関東甲信越支部内)メンバーの野老(ところ)正昭さんが急逝した。昨日の午後まで、仕事で同じメンバーの田中さんとやりあっていたという。人間、一寸先は判らない、とはこのことか、と唖然とした。


自分が忘れたのか、青春の瑞々しい想いへの正直な回顧、そしてその想いへの追及心。そんなはずもないだろうと思いつつも、以下の自分の主張が虚しくなってきた。
ベートーヴェンを言うなら、18歳の自分を奮い立たせてくれたのもベートーヴェンだった。
自分の主張が間違えているとは思わないけれど、美しいものをクリエイトすればそれだけでいいんだ、俺は政治家ではないし、という気持ちになった。
その思いは以下の文章の中にもある。


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JIDA HOT LINE NEWS Vol.87 原稿より 
                            大倉冨美雄  20110515

厭だなァ、もう名誉会員か


中学生頃までは、男も六十になったら、縁側で猫を抱きながら日向ぼっこでもしているんだろうな、と思っていた。それがどうだ、働き通しで名誉会員という年まで来たらしいのに、少しも楽にならない。まだ事務所のために稼がなければならない状態だ。


むしろ、頭の中は未整理事項で一杯だ。間口を広げてしまったこともあり、あれも問題だ、これにも一家言あるといった風で引っ張り回される、というより自分で動いて行ってしまう。
「デザイン」が拡散してしまったのには、自分の責任もある、と思っている。


科学または工学と芸術の間、社会と個人との間、客体と主体の間、理性と感性の間、男と女の間、…に「デザイン」がある。それどころか、都市、建築、プロダクト、グラフィック辺りまではデザインだろうと勝手に決めて、この分野のトータルな実務家を目指す、というところまでやってしまった。
「やってしまった」というところが重要だ。実際、最近ではデザイン分野の人と会っても、「大倉さんは建築の方に行ってしまったから」と言う人もいるくらいだ。でもそんなに分野を決めつけないでもらいたい。


建築の方に行くと、最近どんどん規制が強くなったために、僕の云う事がむしろ珍しがられて、本質論と取ってくれる人も身近には出て来ているのが嬉しい。そういえば職業的にも、「事務所運営、イタリア10年経験、大学教授経験、団体(JIDAとJDA*)理事長経験と4つも渡り歩いているのが素晴らしい」と言ってくれる人もいる。
これらの意味する問題は、日本がこのかた職能を固定化し過ぎて、パターンでしか見れなくなっていることと深く関係する。日本人は本当に小さくなってしまったようだ。


もっとも、この考えを抱かせたのが他ならぬ在伊生活だった。
更に遡れば、電機メーカーのデザイン部に就職はしたものの、どうしてもこれが自分の人生だとは思えず、かと言って国内に憧れるようなところもなく、4年、5年と悩んだ挙句、日本を飛び出したことに帰する。帰って来たのも、この自分の居所の不在性を実際にあるものして証明しようとしたからだ。


つまり、新しい職能の創設とともに、日本の産業構造の在り方に変化をもたらしたかったのだ。しかし、このような問題は政治、経済、社会の根本問題の把握も必要で、クリエイターのための税制改革まで語るようでないと、当面のこの国での「納得された提案」にはならないのだ。


話が突然、難しくなった。
残念ながら、美術大学出でこれを語るには力量が不足気味。家内の言うように「そっちはあなたの仕事じゃないでしょ」という意見さえある。


昨今の悩みは、だから、日本が危惧したようなつまらない国になってしまったのをどうやって救い上げるかという道筋の、自分ながらの発見と実行の難しさにある。
まさしくここ数年、そして特に大震災の起きた今年は、日本歴史の中での一大転換期に当たると感じ、その思いに沿って考えをまとめているところ。応援してください。(1216字)
*:NPO日本デザイン協会の略


●【参考追記】2009年12月11日ブログに、やはり、マリアンヌの出てくる、
「あァ、青春」という記事があります。