妻は残る

【日記】 後記あり


建築家の妻って、どんな人?


野老(ところ)さん自身が設計したキリスト教会(以下*1)で行った集会(*2)での高橋てい一さんの話ぶりは印象に残る―われわれのJIA港地域会の代表だった野老さんは、しばらく前に亡くなられた。その思い出の会での話である。


「野老君は、この奥さんがコントロールしなければモノにならなかった。
ねえ、そうでしょう?奥さん」
「あ、聞こえない? そんなとこに居ちゃだめだ。こっちにいらっしゃい」
と信者側の席に入って来て、遠慮する野老夫人の手を取って、祭壇下のスピーカー席に連れ出した。

「彼は気難しい男だったね」
「僕はあんたに惚れているから(こんなこと、平気で言うんだ)」
と、高橋さんが言ったかどうか、今の記憶ではさだかでないが、そんな親密感にあふれた独舌が続いた。
亡くなられた野老さんを知る人なら苦笑するところだろう。

高橋てい一さん(「てい」の文字は左が青、右が光で漢字表に出てこない)と言えば、浪速芸術大学などの設計で有名な建築家。
野老さんは83才だったのに、高橋さんは88才とか。でも至ってお元気。奥様同伴で来られてこの話。
改めて、建築家故野老正昭氏の妻である方のりんとした美しさに触れる思いがした―これが初対面ではないのに。


[後記]わがままな建築家の妻であることは難しいことだ。反対に建築家にとって現在では、高収入を期待しがまんしない妻と生きることは難しいことだ。
皆、他人ごとではない家庭事情を胸に秘めながら、野老夫人の居場所を探そうとしているかのようであった。


*1 恵比寿西1−33 にあるこの教会(日本キリスト改革派東京恩寵教会)は、傑作だ。感心した。解説にはまとまった時間を要する。


*2 この集まりとは別に、「MASセミナー」を行なっている:JIA日本建築家協会港地域会の主催するセミナーで、出来るだけ一般のかたの参加を求めている。