シドニーの教会で思う―すみれさんからの便り
【情報】
オーストラリアのすみれさんから受信。
丁度、当港地域会(日本建築家協会)でも、「日本の街並は何故美しくないのか」をテーマに連続セミナーを開いているので、格好の話題提供になっています。(ついでですが次回予告:6月30日13:30より―建築家は街にどのように関われるのか―4人ほどのメンバーが思いを語ります。日本建築家協会JIA館1F 建築家クラブ:渋谷区神宮前2−3−18)
彼女の便りは細やかな観察力で、頭で理解するようなものではないキリスト教的感覚の現実を教えてくれます。
これは旅行者ではなく、現地で生活する落ち着きのなかでこそ味わえる、ヨーロッパ型の孤独の実感―自分という存在を否応なく教えてくれること―なのかも知れませんね。
大倉先生、みなさん
お元気ですか?
私の故郷の北海道も、ようやく春真っ盛りとなってお花が綺麗だそうです。
一方でこちらシドニーは真秋、街路樹の葉も随分落ちました。
建物が防寒向けにできていないので、部屋の中でもセーターを着ています。
さて以前、シドニー(欧米)の街並みはどうして美しいのかと書いた記憶がありますが、
街並みではなく教会について、ちょっとだけ私なりに理解したことがあるので書いてみます。
先日ダウンダウンにあるタウンホール(市庁舎)で、ランチタイムに無料のパイプオルガン
コンサートがあったので行ってみました。
ここのパイプオルガンはとても大きく立派で、説明書によるとイギリス人が作った中で
最大のものらしいです(間違った訳でしたらあしからず)。
そしてホールも、教会のように天井が高くてステンドグラスが美しく
たぶん教会の役割も果たしていたと思われる場所です。
演奏曲はバッハ等どれも親しみのあるものでしたが、ホール中に荘厳に響き渡り、
キリスト教には詳しくない私でも、まるで天から神が降りてくるような感覚がありました。
とてもとても大きな存在の神さま、、。少し怖くさえありました。
これは仏様の存在とは明らかに異なっていて、決して身近な”ほとけさま”ではない。
上下関係というか、完璧な決して抗えないもの。
それを感じさせるための、崇高な教会建築、、。
ステンドグラス越しに差し込む赤や青の光、きらびやかな祭壇、これに天使のような
少年の歌声が加われば、”ごめんなさい、もう悪いことはしませんから、、”
と思わざるを得ないです。
あたり前のことを書いてしまったのかもしれませんが、こういうパワーを
体感したことはなく、自分なりの発見だったのでお便りにしてみました。
宗教が及ぼす影響というのは、普段の生活の中で思った以上に深いのでしょうね。
そういうものが街並みにも関係しているんだと、今は漠然としかわかりませんが、、。
ではみなさん、爽やかな季節を楽しんでください。
そうそう今日の金環日食はいかがでしたか?
シドニーのすみれ
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