外国で成功するには

日本との対比で捉える海外事情


これも昨日の続きになるのか。
今朝、どこかのテレビで、プラーハに在住する超リッチなオカムラトミオという人を紹介していた。大統領選に出馬するということで話題になっているとのことだ。
外国で成功した人物のストーリーは面白い。昨日の話題との対比で論じてみたい。


●という前に、これで年度納めとなってしまった。 本ブログを見て頂いている方々、ありがとうございます。 来年もよろしく願います。●


さて、これは新年1月3日になっての補記です。


このオカムラと言う人は、訪れる日本の観光客の多さから観光ガイド、そして観光会社を創り、それから寿司屋チェーンだったか、そしてなにかの生産と日本への輸出、というパターンだったと思う。と思うと言うのは、しばらく前にベトナムかどこかで、これも「蚊取線香」の製造販売で冨を得た日本人を紹介していて、日が過ぎると話がいくらか混線して来ている(老化か)からだ。


それはともかく、「日本を出でよ」ということで、イタリア体験から思い当たるのは、日本人の几帳面さと繊細な感性、及びそれに基づく技術がベースにあれば、その国で求められている技術や商品、サービスに敏感になれば、かなり成功する確率が高いのは確かだと思われることだ。こういうことって、この国の連中は下手だな、とか、こうすれば儲かりそうだ、という日常の観察結果は少なからずあった。



もちろん、人脈、語学力、元手資金、運なども重なってくる。それでも自分の体験からすれば、一番難しいのは「自分にやりたいことがあり、それを学ぶためにこの国に来ているのだ」という思考回路を崩せないことだと思われた。
ところが、それらを承知のつもりでも、今、思い返せば、もっと根源的な問題があったようにも思われる。
それは「土着力」とでもいうものだ。
オカムラ氏は両親のどちらかがチェコ人だった。おのずと「血が騒ぐ」レベルの問題があり、この土着力に関係してくる。


どこかで切り上げて帰国しよう、と思っているようでは腰が落ち着かなく、商売もいい加減になるのではないだろうか。自分のことを思い出してみると、まず「デザインで旗を上げるのであって、商売で成功するのではない」という思い込みがあった。その上で、滞在が長引くにつれ、常に「(カネ儲けが目的でないなら)この国で俺は何をしようとしているのか。デザインのような仕事は芸術と同じで、個性や国民性が表現行為について廻る。今さらイタリア人をさておいて、イタリアン・デザインの巨匠を目指すのか」というような疑問に催悩まされることになったのだ。これでは土台が安定しない。


こうして思い返すのは、柳井社長のように「(何でもいいから)必死でカネを稼ぎたい」というのが前提に無くて、「土着力」も無ければ、やはり「この国を出て」も、成功はおぼつかないだろうということだ。