「アートと音楽」の結びつけは難しい

【日記】

Observing the exposition for art and music at Tokyo Modern Art Museum:
Seemed something in vain, even artists worked in serious mood.
I could approved only the work of Celeste Boursier-Mougenot called "Clinamen".
To unite between art and music is not easy but is too hard. 
Modern art in Japan still remain on the difficulty of works and management.



若者たちであふれかえった会場にたたずんで



何と言うべきか、ものすごく徒労な感じ。
もっとも当事者の皆さんには大変な思いと努力があるとは思うのだが。
他でもない。今日まで東京都現代美術館で開催していた「アートと音楽」のことだ。最終日だからなのか、晴天に恵まれ、気温も比較的暖かいからなのか、チケット売り場は長蛇の列。しかもほとんどが学生か、30までの若者たちのように見えた。
行き詰った現代アートの打開策がここで何か見つけられると思っているのか。それとも音楽系の者もいるわけだから、一般学生でもデート・スポットとして来ているのか。



水面に大小陶器の器を沢山浮かべ、作られた水流で流れる間に陶器同士がぶつかって、涼しい音を出している(「クリナメン」、セレスト・ブールジェ・ムジーノ作)。
そのたたずまいがとてもよく、これは「やられた」と思っていた(紹介TV映像から)ので、まだまだ面白い表現がたくさんあるんだろうと思って、思いつきで出かけたわけだ。
しかし、結果はこれ一点だけだった。しかも、これでさえ、ぶつかりあって出すはずの清音がスピーカーからも発信されているように聞こえると家内(水盤が広く、水流を起しているところから離れると、ぶつかってもほとんど音がしない? もちろん、それだっていいんだけれど)。
現代美術がここまで来ているのはいいが、実験レベルを過ぎているのに、新しい提案が見えなく残念だし、つまらない。
それぞれの作品を説明するのは空しい。


そこへ持って来て立ち寄った館内レストランのこと。
この美術館には何度も来ているが、美術館もレストランにもどうしても愛着が湧かない。(調べたら2009年6月7日のこのブログに記載あり)
設計者は柳澤孝彦氏だが、何かスケールアウトしている。バブルの余韻みたいなところがあり、大きいのがいけないわけではないが設計に細やかさが足りない。動線計画もどこかおかしい。具体的にいろいろ指摘できるが、それは専門家的すぎるし、柳澤さんにも失礼かも。
事実、石原前都知事も何となく好きでなかったようだし(維持費の問題もあろう)、磯崎新氏もどこかで悪口を言っていた。
それらは前から承知だが、同じように以前から我慢がならないのがレストランだ。味、出し物、待遇、インテリア(特にテーブルと椅子。そのレイアウト)が東南アジアの修道院の台所かと思うようなセッティング。なんでこんな味や造りにするのだろうか。
値段も割と高い割には注文してもなかなか持って来ないし、ウェイトレスの動きも無駄が多い。水などはセルフサービスにしたっていいんだろうに。総菜もわざわざヴェトナム、インドネシア風みたいにすることもないだろうに。最近は美術館のレストランが話題になっており、これが楽しみで美術館に行く人も少なくないのに。
出しモノにもよって入場者数も大きく変わり、レストランの採算性にも関わるのは知っているが、ここには営業努力(と言ってもアイデア)が欠け過ぎていないか。行くたびに不満だ。ごく普通でいいんだ。
見やると奥の光庭にはパラパラとゴミが。コーヒーだけは美味しいとは家内の弁。
それだけじゃ、駄目なんだよ。
やはり日本では、現代アートは作品も運営も無理なんじゃないか。坂本龍一ビートたけしまで繰り出しても?