柳宗理と渡辺力の後に生きる

【日記】
Whatis the meaning of "aliving" for product designers after the era of Sori YANAGI and Riki Watanabe.
To me, it's seems a nearly inutile to follow them in this comletely changed world.




柳宗理渡辺力の後に生きる意味とは何か



去る1月8日、工業デザイナーだった渡辺力さんが101才で亡くなられた。心不全とのこと。明治44年生れ。長生きされたものだ。これは見習いたい。
力さんとは10年ほど前には、会合などで2,3回お会いし、しばし言葉を交わしたことがある。その後の消息は知らなかった。子弟でも何でもないが、デザインの何かを極めるために試行錯誤を繰り返した一生だった。また目立たせるためでもなく、機能をよく研究し、作りやすく使いやすいデザインを心掛けたことも特筆される。
この静かな創作のたたずまいを、週刊新潮1/31号の「墓碑銘」が伝えてくれている。



丁度、前後して日本民芸館で「日本の漆」展をやっているとのことで、「白隠」展の後、廻って見た。
そこのショップでやたらと柳宗理に関する出版物が並んでいて思い出した。「あぁ、一時代は終わっているんだなぁ」と感概を持たずにはいられなかった。
というのも、柳さんは僕が静岡文化芸術大に奉職していた時、元気な姿で来学してくれたことがあったが、あれからわずか4、5年の間に亡くなられたからだ。柳さんと会ったのは後にも先にもこの時だけだったから、お二人とも身近な存在ではなかった。(このブログでは,2012年3月24日、2007年2月12日に関連記事)



それにも関わらず、自分にとってあまりにも身内化している二人だが、それは何を考え、何をしているのか、この二人については、全部判っているという思い込みが有るからだろう。
思えばいい時代だった。デザインの何かが社会的にはっきりとはわからない時代だったが、高度成長期のモノづくり国家観に合っていて、いろいろの実験的デザイン行為がそのまま受け入れられていたように思う。


いまでも、古典化した彼らの仕事を規範のように持ち上げ、デザインの本質だとする同業者や評論家がいて、うらやましく思うことさえあるが、モノを作ることイコール増産が、社会のゴミを増やしていると思ってしまう以上、僕にはもう同じレベルには立てない。モノのデザインが、必然を伴わないなら、もうデザインをするべきではないと思ってしまうのだ。さらに言えば、モノ(消費財)は結局消えてゆく。歴史に残る椅子を創ろうなどと夢中になった時もあるが、それらは歴史の証人として、あるターニングポイントで数点あればよく、そういう「歴史への引っ掛け意識」とジャスト・ミートしなければやる意味が無いと思うのだ。


何度も言い始めているが、今は歴史の大きな転換期だと思う。この歴史認識を欠いてデザインを考え、デザインをするのは、意味もなく空中に水を撒くようなものだと思えて仕方がない。



【2012年2月7日追記】
●●このことの実質内容に関わることついては、最近も書いている。先月、1月の18、19、25、26日辺りの記事に●●