陣内さんとのトーク

【日記】  ●●印以降に、トーク内容の紹介があります。(10月13日追記)



不思議なものだ、どうしても言いたい事が言い切れない



公知のとおり、24日の夜にイタリアを肴に日本のことを語り合ったが、おおむね好評だったと思う。
陣内さんがこの夏訪ねたイタリアの地方都市いくつかの経験談をパワーポイント交じりで語り、それだけでイタリアへの郷愁を誘うのに十分だった。
それは良かったが、最初にイメージした路線通りに運んだとは言えない。視聴してくれた皆様は気がつかなかっただろうから(と想定しての話だが)、問題にならなかっただろうが、僕にとっては思いが残った。
これはもちろん陣内さんのせいでもなく、僕自身がこういう場を使って、日本人改革論のようなことをやろうとするところに問題があるのは明らかだ。
みなが、イタリアはいいよね、という余韻が残っているところに、聞きたくも無い話が持ち込まれるのは嫌なものだ。
とは言え、そうも言っていられないので、以下に当日夜のトーク内容(NPO日本デザイン協会ホームページ用)を紹介します。かなり楽しいと思います。





●●NPO日本デザイン協会/JIA日本建築家協会デザイン部会共催
対談「あゝイタリア。でもなぜ日本人が?」
対談者:陣内秀信+大倉冨美雄



イタリアの都市文化、建築史が専門の、陣内秀信法政大学教授と私(大倉)の対談で、ここまで人気のあるイタリアの何が日本人をそれほど引き付けるのか、という話で進められました。
最初に陣内さんからこの夏に現地で得た収穫として、イタリアに広がりつつある「アグリツーリズモ」の実態についてパワーポイントを使って解説がありました。


畑以外何も無いような田舎の集落や郊外の個人の自宅や廃墟を借りて改修するなどして、ファミリー単位の宿泊施設を作り、地元で取れた新鮮な野菜などを使ったおいしい朝食を出すのです。このためイギリスでは「B&B(ベッド・エンド・ブレックファースト)」と略称されているとのことです。今は一泊だけや、食事だけもあり、ドイツあたりで人気になってメジャーなビジネスになっているようです。そこには旅行会社に頼るのでなく、インターネットでコンタクトできるようになったことも関係しているようです。夕食は外のレストランに行くので、地域の活性化にもなります。


このようにして、B&Bは「ガストロノミア(美食文化、食育)」の発展にも繋がっています。古い町の中にも造れるので、町に溶け込む、夜も街に出て行けるなどのメリットもあります。ホテル泊が自己完結型でつまらないのは、理由のひとつが旧市街に造れず、新市街に行ってしまうからがあります。日本の町は夜がまったく駄目で、その点では参考になります。金沢のように、歴史的都市の再編は小さな町でないと落ち着けません。
こういう場所を南イタリアのプーリア地方(長靴の踵の方)のまちなどを見て廻って取材した話で、当夜のトークが始まったのです。古いものを大切に生かし、個人ベースの収入の元にしてしまう力が見えるようでした。


対談はイタリア気分を満喫しながら、日本との対比に進んでいきました。イタリア人のしあわせ感をなぜ日本人は持てないのかを通底する意識としながら進められたのです。イタリアでは、「グローバリゼーション」とは一般に言われている危機とは逆で、それに疲れた人たちがアグリツーリズムで癒される場になっているのです。


イタリア人のメンタリティの話になると、「イタリア料理という言い方は無い。それぞれの地域、それぞれのレストラン、家庭にそれぞれの料理があるのだ」という人も居ることから判るように個人主義の国です。「イタリアではない、イタリエだ」と言う話です(「ア」は単数用語であり、「エ」が複数)。

在日中のイタリア知人によると、「日本人が幸せそうに見えない。なぜだろう」ということです。我々の多くは組織の人間になってしまっているようです。「昼間ドイツ人、夜はイタリア人」や、「表と裏」などという言い方があるように二分化された精神構造の持ち主になっていると思われます。「ハレとケ」とはよく言ったもので、祭りなどで鬱憤を晴らさなければならない心情が行事にまで表われているように思えます。「法人国家」になってしまって顔が見えない、とも言えましょう。
江戸時代には、路地の入り口にいろいろな仕事の看板があり、その商売は全部個人営業だったわけです。そこに顔の見える相互補助の近隣社会が出来上がっていたのです。


話は労働に対する心構えの問題になり、イタリア人は実は働き者(働かないのは組織労働者)ということになりました。「夏は観光業をやるが冬は畑の手入れ、住居の補修などやることいっぱい。仕事が無いときはロンドンに行って英語の勉強」だとか。これは自主営業だからできるので、日本人の雇われ気分では出来ません。
日本の個人事業者は一般に子供が継がない場合が多いですが、イタリアでは子供は親の第二次付加価値をつけて生きるのが一般的です。爺さんが猟師、父親がアンチョビの製造業、息子がそれを国際的に売るというような付加価値のつけ方です。それが結果的にグローバリゼーションになっています。


イタリアの港町ポルトフィノなどの美しさから、今後の開発が難しい街づくりの具体例として小田原漁港の話が出ましたが、陸上と異なる管理主体の問題もあり、真鶴町(神奈川県)の「美の条例」の成功例の話にまで発展しました。日本のまちづくりには一般に「場所の展開」が無いのです。魚はおいしいとしても、温泉町では成功しているような人の心をキャッチできるものがない。日本の町の広がりについて、静岡、清水の街づくりについて関わってわかったこと(陣内氏)は、地域のイメージの掘り起こし、歴史資産を引き出す力がないと感じられたことです(新幹線と東名高速で分断されてしまったことにもよる)。その点、金沢は「ガストロノミア」も含めて発想がいいようです。


「好きなものを食べなさい」と子供に言うイタリア人に対して、「嫌いなものでも何でも食べなければ駄目だ」と教えられてきた日本の子供。そこには主体性の育成に関わる深い問題がありそうです。


最後に会場から、①北部イタリア事情、カフェのイスの張り出しについて、②商店街の問題について、質問と意見がありました。


①そこには「南北問題(北で稼いで南を養っている)」という国内事情があり、確かに南部とは同列には論じられないものがあります。北部では工場が北アフリカなどに出ていったりしたので、ある時期、人材雇用の場が減少し疲弊したいきさつもあります。戦後の発展を経て、現在はまた減速しています。中国人が入ってきて企業買収をすすめており、トラブルも起きているようです。北部だけの問題ではありませんが、十年以上前のデータですが、税金の補足率が6割位という大きな問題や緩すぎる年金保障制度の問題もあります。
イタリアにおけるカフェの道路へのイスの張り出しは、地域主義のため地域での判断で出来るようです。そこに住んでいる人がその場を一番知っており、それが認められているわけです。日本では道路は市道を越えると国の管理になる(深く考えると、現場を知らない官僚の中央集権型文書による行政指導の結果)や、食品衛生法などによって規制されてきました。年間の気候、空気汚染、車の事情もあるでしょう。ヴェネツィアアムステルダムなどに見る岸辺や桟橋のカフェテラスなどへの活用は、もともとボートハウス、荷揚げ場だった所の転用が多く、それは近代になってのことです。
②日本では商店主のまとまりが無いことを発見。イタリアはほとんどの商店が賃貸によりますが、日本の「商店街」はそこに住んでいる人が多く、すべての人格を賭けているので不動産の賃貸をしない場合が多いのです。これでは当然、よそ者や新機軸提案に冷たくなり、まち起しへのブレーキとなります。


最後のまとめとして、「資本主義の進化が協同社会を壊した。まだ進化が必要か」という新聞記事からのメッセージを紹介し、この夜の問題提起として終わりました。

     
(文責:大倉冨美雄 平成25年9月24日 NPO日本デザイン協会/JIA日本建築家協会デザイン部会で共催。於:JIAサロン)