「『建築の危機』打開せよ」記者への手紙

【日記】


去る1月22日の朝日新聞夕刊に出た、表題のような記事についてのコメントを担当記者に送った。


小見出しに「建築界のリーダー3氏が公開討論」とし、槙文彦、磯崎新原広司の3氏が語っているのを担当記者が編集したものだ。
この討論会は東大建築学科大学院の企画とのこと。
「情報化の波 都市との接点に変化」と、幾分、抽象的でわかりにくいまとめ方。

前のブログにもあるように、2003年に「デザイン・ミュージアム」の記事を書かせて貰ってから、大西記者とは縁がある。
そのコメント内容を(原文の新聞記事が無くても判るように、幾分修正して)以下に転載。




大西若人様


大変、ご無沙汰しています。
記事は時々、読ませて頂いています。
以下は、一月二十二日「『建築の危機』打開せよ」への感想です。
残念ながら討論会に参加できなかったのですが、彼らの言っていることは分かりました。
結論は、槙の言っている「責任を分散させる資本主義社会の動きがある」にすべて収斂しています。
「他職能からの侵食、場所性も無くなった、土地資本化」がそうですし、磯崎の言う「コンピューター主役、建築の分散、輪郭のボケ」も、原の言う「合理的な空間の感知だけでは対応できない、情報から考える」も全部そうです。脆弱な日本政治も翻弄するマネー・ゲームとグローバリズムの結果とも言えるでしょう。
でもその分、本質的な意味での建築家の社会的責任は問われなくなっているのです。
建築(と言わず、「デザイン」の本義も含めて)については社会全体が、何が本質か分からないし、それゆえ議論も無い。あっても専門家同士が、社会性の低い専門用語で掛け合っているか、傷を嘗めあっているのが実態でしょう。一方で、技術や安全、コストや情報の面からは、恐ろしく責任を問われ始めています。ということは責任を取れる企業組織でないと仕事が出来ないということです。
最近、地元育ちということもあり、ある大きなホール(小田原芸術文化創造センター)のプロポーザル(設計競技)に参加して分かったのですが、選ばれたのは一次(A4文書1枚のみのペーパー審査)でさえ、すべて著名建築事務所でした。審査委員も怖くてわたしのような新人などに手を出さない。結局これからみても、若者の育つ余地が無いのです。
建築界のリーダーたちでさえもが記事内容のような現状では、道を示すことも出来ない。それでいて名誉ある建築家という巨匠時代の名残のような評価は受け続けているのだから何をか言おう。新国立競技場設計競技問題にも似たような問題が発生していますね。
ここには「建築家らしかった時代」の用語で、槙が「希望は失わない方がいい」という言い方になっていますが、ご承知のようにプロダクトデザインからやってきた私には、「打開の戦略」のためにはもう少し、言い様があるだろうという気がしてなりません。
しかし彼らを責めるわけにはいかない。それほど、どうしようもない、どうしていいか分からない時代になっているということでしょう。
槙の言う「優れた空間概念」を始め、本質的なクリエイティビティ、建築のエッセンスを、国民が理解しないことには、本当の建築家やデザイナーは浮かばれません。そのためには、初等教育レベルでの「布教」から始めて、三十年から百年の努力が必要という実感がしてきました。
まさしく、(大西さんが最後にまとめたように)「この日の討論が一つの実践だった」わけですね。(敬称略)


平成二十六年一月二十三日                           大倉冨美雄