「新日本様式」とは何だったのか

【論】  8月11日、一部追記。 8月18日、再追記。●印以降。


思い出しても涙ぐましいボランティア活動の結果とは?



正確には、何年か前に進められていた「『新日本様式』協議会」の活動とは何だったのか? という質問である。これは今思い出してみれば、質問と言うより自省である。


将来必要との思いから、自分で整理しておいた巾6センチほどの「『新日本様式』協議会」ファイル6冊余りを点検。改めて、この活動に膨大な時間を取られていたことが判った。
もともと経産省内外で起こった準国家企画と言ってもよいのだろうが、大手企業が加わって、現実的な事業になってきた。それに(社)日本インダストリアルデザイナー協会の立場として参画、「プロモーション委員会」のメンバーとして、結果的には2つの展示会のプロデュースと会場設計、放映映像のプロデュースに夢中になった。その時、その時点では、これで日本という国のイメージポリシーへの道筋がついた、という思いがあったからだ。


この後、というか、前後して「クール・ジャパン」という言い方も、徐々に一般化してきた。
最近知った著書で、「だから日本はズレている」(古市憲寿新潮新書)でも、意外と詳しくこの流れについて記述があった。
ここで古市氏は「日本のコンテンツを海外に輸出する話なのか、逆に観光客を日本に呼び込む話なのか、ただ『日本ってやっぱりすごいよね』って言い合いたいだけなのか、それによって議論はまるで変わってくるはずだ。なのにその前提が共有されていない。そりゃ、議論もまとまるわけがない」として、民間どころか国もクール・ジャパンがなにかわかっていないと看破し、そこにはマーケティング視点の欠落があるという。
そこにある視点とは、「外国人が日本をどう見ているかを重視して、日本人が自国をどう見せたいかは止めろ」という考えに近い。それで少し進歩したのが、今回のオリンピック招致の「プレゼンテーション」だったと言う。確かに、K−Popの対日戦略のうまさに反して、ドラえもんを招致の特別大使に選んだりする所作はまったくわかっていない、という論点を理解できる。


ただ解るのは、経産省の生活文化創造産業課(通称、「クリエティブ産業課」)の周りに集まる人たちの多くが、 類推するにアーティスト、デザイナー、作家、演出家、舞踏家などであったために、自分が表現したい「クリエイティブ」にこだわりがありすぎ、「外国人が日本をどう見ているか(だけを)を重視」するような分析脳の持ち主がほとんど居なかっただろう、ということだ。


このことはひるがえって、自分の関わった「新日本様式」でも、同じような問題をかかえていたことが明らかとなる。


●日本を売ると言うのは、思ったより難しい仕事だ。国際的な観光客が、フランスの12分の1とか言うデータから考えても、ヨーロッパ文化はその発信源となった歴史的由来からして、アドバンテージを取っている。しかし何と言っても、国自体が自国の文化を高く売ることに熱心なことは十分感じ取れる。人間の行為を夢、あるいはフィクションとして捉え、あらゆる機会に、生きていることのフィクション性を演じ切る。
その観点からすれば、真似と欧米崇拝で通してきた日本人が、急に自分たちを売るといっても何をして言いか判らないし、彼らが日本人をどう見ているかは、もっとわからないのが実情だろう。
私自信が、深く考えていず、「こういう日本人を知って貰いたい」という価値軸で映像制作のプロデュースに夢中になった。

このビデオデータは保存されているが、制作過程の最終面で驚いたのが、日本語解説文で苦労した後、プロによって仏語訳され、ナレーションを美しい声のフランス女性が吹き込んでくれ、これを聞きながら画像を見た時だった。見慣れた日本の風景や文物の映像が急にインターナショナルになり、もっともらしく見え出したのだ。フランス語はもとから、なめるような母音とリエゾンによって、歌うように画面を流れていく。映像はつまらないが、唄のような音声の効果に魅入られた。

(後述)