宇沢弘文氏のこと

「社会的共通資本」への視線



最近、亡くなられた宇沢弘文さんのことでは、記録しておきたいと思っていた。
今夜、NHK19:30から30分だけ特集があって、本ブログでのメモとしてもタイミングかと思った。
実は、親戚筋の縁ということでもあったのだろうが、20年ほども前の話だが、2回ほど数人の人たちとお茶を飲むような場があった。当時でもすでに白髭仙人風であった。

とても気にしていた学者ではあったが、かといって「宇沢論文」を読み込んでいたわけでもないから、遠慮していたが、実に気さくな方で、当方の幼い考えをちゃんと聞いてくれて意見をくれた記憶がある。残念ながら、自分の言葉が実体性を持っていなかったのか、言ったことも、返答いただいたことも具体的な記憶がない。わずかに、というか、自分の考えが間違ってはいないのだとの感覚的な確信を得ると共に、「本当によくわかっている方だ、その通りだ」と思ったのは覚えている。


それはともかく、今夜の解説員と相手の内橋克人氏の話からも含めて、納得していることをメモっておきたい。
最初に紹介していたように、宇沢さんは、効率を求める市場主義経済学に危機感を抱き、それを越えた「人間のための経済学」を模索し、提案した元数学者である。
川上肇の「貧乏物語」を読んで深く共鳴し、「社会の病気を治す医者になるんだ」と経済学に転向、1964年にはシカゴ大学の教授にもなったが、はっきりものを言う性格のため、経済成長中心主義の他学者と論争になり、1968年に帰国した。その後、東大教授に。
アメリカで、市場競争が格差の拡大をもたらすことに気が付いた――経済成長が人間の幸せに繋がっていない現実を見たのだ。
それが「社会的共通資本」という考え方に結実した。それは教育や医療、公共交通などの公的な性格の事業は「社会的共通資本」として人々を守るものとしての扱いとし、その他を、その上での「市場の原理に任せる」としたのだ。
そんな考えを現実のものにする実践論的立場から、教えている大学にランニングウエアで駆けて出勤するような人だった。


内橋克人氏に言わせると、宇沢さんは「厳しい」所があったが、それは「社会的、経済的な被災者に寄り添う経済学」を求めていたからであり、それを基礎と臨床との間を小さなサイクルで回るように努力を続けていたからであるという。「公共財を利益追求の材料にしてはならない」という考えを理論的に追求し、現場では実践的に行動したわけである。
このための実例として、教育の場においては教科書編纂に関わり、社会の裏側を、表と同時に見せることで現実を考えさせる編集を心掛けた。
また現実に基づいたまちづくりを提唱し、古民家の修復を学生と地域住民による協力活動として行い、その交流の輪が広がり定着することにより、結果的に金をかけないで人を呼び、「地域をはぐくむ共通財産」を生み出すことを教えてきた。
これらの実例について紹介があったが、どちらもまさしくデザイン活動の、これまでのある成果に結びついて来ているし、今後とも、デザインのある方向をを示唆していると言えよう。


内橋氏は宇沢さんのこれらの業績について、「ひとつ、ひとつは小さな分野に散らばっているが、宇宙的な広がりを持っている。そして、それぞれの所で種を蒔いている」とたたえる。そして「人間が人間らしく生きる社会を求め、GDPと人が幸せであるのとは違うと教え、「社会的共通資本」を知らない人もいるかもしれないが、社会の闇にサーチライトを照らしていて、その前に見えるのが宇沢先生だ」と締めくくった。


本当に惜しい人を失った。日本の格差社会の進行について、宇沢さんほど警告を発し続けた人は知らないが、その分、大企業やそこに依存しようとする安倍政権型人脈などからは疎まれてきたのではないかと、心が安らかではなくなる。今なら、もう少し突っ込んだ話が聞けただろうに。ご冥福を祈るばかりだ。


(番組の聞き取りからメモったので、多少なりとも自己判断による文章構成になっている)