岡倉天心の現代的意味(2)

【論】この前のブログの続き

岡倉天心の現代的意味を求めてさまよう(その2)


どちらが先だったのか、このところNHKEテレの「100分de名著」シリーズで、天心をやっているのを知った。
すでに、天心のことなどのテーマで今年の対談企画はどうかと意識にあったので、7日の日だったと思うが、この番組を見てはたと気が付いた。そうだ、やれるかも知れなと。それが12日のブログになっているのだが、逆に、あまりにメディアで話題になってしまっていると、こちらも人気取りを狙っているようで気が引けてくる。


それはともかく、12日の続きをここに書くことにして気分も改めたい。
天心の成したことを一般の流儀のように「茶の道」から説くのでなく、現代流に最大振幅で砕いて逆に見てみると、3つの分野に分かれるのではないかと考えている。
1・新しい考え方の提案(コンセプト)
2・それを広める講演、著作活動(広報)
3・その観点からの施設、システムの開発と施行(実践)
こう言うと、何やら天心の持つ威厳が失われてしまいそうだが、現代で言うプロデューサー、プロモーター、コーディネイター創始者とも言える活動である。それぞれについてみてみよう


1・新しい考え方の提案(コンセプト)
それは以下の4つに区分できそうだ。
a)日本を外側からみる眼の紹介
b)アメリカ社会を実体験し、インドも見て裏打ちされた、西洋文明に対するアジア史観と日本史観。
c)道教、禅を巻き込み、自然に帰る人間学からのエコライフの提案。
d)当然ながら茶に満ちる人の心の在り場の紹介。
1章から7章までの構成は、人間性のこもった茶碗、茶の流派、道教と禅、茶室、芸術の鑑賞、花、茶人たちとなっていて、「茶の本」としての視点を保っているが、内容は、日常生活の宗教的な価値観への導き、工芸や建築から芸術への視点、近代の持つ非常性や非人間性、日本人の野蛮性と戦闘好きへの反旗などの側面を持つ。


2・それを広める講演、著作活動(広報)
ボストンにいては、かなりの講演や、茶会のような催しを開いていたようだ。「茶の本」の前に「日本の覚醒」も出版されている。日本ではこのような場が出来なかったようで、それがボストン行きを誘発させたとも読める。


3・その観点からの施設、システムの開発と施行(実践)
東京美術学校(現東京芸術大学)の開設や校長としての活動、日本美術院第1部を分離させて茨城県五浦に移転開設など。誰でも知っているように、木村武山、菱田春草横山大観、下村観山らの共感を得て行動し、明治以降の日本画の核を形成した。文部省に勤めていたために、見えない行政指示的な活動はほかにもいろいろとあるだろう。

(ここでの後述は、また止めて、日を次回に改める)