感性的な創造の喜びの原点はどこか

【論】   追加:03/05 ●印


ゆらぐ日本文化の存在基盤と欧化ノスタルジア


ここしばらく情報交換している知人からの問題提起で、改めて考えさせられることがある。
●まず最初に断っておかなければならないのは、知人も僕も建築家、デザイナーという職分からの発想であるということだ。触れたいとは思うが、悲惨な戦争の実体験などをしていない世代に属する。それだけに特に僕の場合、ノー天気なロマンスのある人生だけの話になってしまうのかもしれない。もっともそれだからこそ、視覚における美の本質については語れる立場にある、と思いたい。


知人は言う。外国人には、日本人の椅子の座り方や立ち上がり方を見ていて、ひどいもんだと思ってきた歴史がある。だから日本人が西欧化したいと思っても、実際はお粗末なものだろう。当然、逆に我々は着物姿の外人の妙ちきりんなところを感じている。
しかし、現在の日本人が背広の着こなしが決まっているかと言えば、江戸までの着物の着こなし感覚にまでは至っていないだろう。文化の輸入とはどこから本物になるのか。


具体例を挙げよう。住宅設計受注時の前後に、クライアント(施主)の考えを十分に聞いて設計に入る、とは現実的な話だが、実際施主が明確なヴィジョンを持っていることは少ない。
話を聞いていると、それもいい、あれもいいというような不確かさがあり、妻に任せてあると逃げる者もいる。ではこうだと押していくと、それでもいいとなるが、実際に設計が進んだり竣工したりした後になって、また別の意見が出たり、想定違いでもそれもいいとなったり不満を言われたり。イメージ違いを避けるためにCGなどでプレゼンしていくが、聞いていくと、結局どこかで見たようなものだったり、多国籍的だったり、いろいろの部分の寄せ集めだったり。設計側も集めた想いの陳列棚からサンプルを出すだけだったり。
要するに日本では、住宅の文化が解体して以来、施主としては、どの個人も法人も(といっても個人の寄せ集めだが)はっきりした文化的なベースを持つことが無かったのではないか、ということだ。
それは欧米人の持っている住宅に対する明確な信頼感と比べて、強く実感される。それを比較して、いい加減な国民性だと言うべきか。
それでも多くのデータ集積の結果などから、ハウスメーカーなどは「これがかっこいい家です」と、イメージング操作を続けている。
車のデザインでも、日本人独自のスタイリングが生み出されるかと思いきや、今や混交デザインの成果となっている。



われわれは明治期より、憧れた欧米文化の真似をして、時間をかけてこれを手持ちの感性で混合してきたが、結局、現在の所、オリジナルな国民文化というものを生み出し得たというわけではなく、何でもあり、何でも頂きの文化になっていると言えるのではないか。●あえて言えば、「縮み思考」の文化、「幕の内弁当の美学」などに見る 箱庭美学のようなものは続いているが、それは細部にこだわる国民性でどこにも宿っているが、大きな意味で「見える化」を決定づけるようなものではなさそうだ。

それは言い換えると、設計者にも「こうだ」という強い表現意欲がない、というより必要性を実感せず、むしろそれがあると全体合意の邪魔をするとさえ考えているフシがあるのではないか。
あるいは、モノの存在意味をまさぐればおのずと造形に繋がると考え、そのことによって表現への苦痛を解消しようとする。
混合を続ける文化が何かを生み出すだろうと僕は思うが、だから逆に、誰もが自分の表現への喜びを発信しない方がいいというわけでもないだろう、というのが知人の考え方のようだ。で、公に発信する前の、大倉さんの本音を聞きたい、と。



実際、この通りに問い詰められたわけでもないが、振り返ると、自分の美意識の原点にあるのは、やはりヨーロッパの、ある感性へのノスタルジアが大きな喜びになっていることにある。
幼少期に与えられた、現世の美と感じるものへの開眼はどうしても消すことが出来ない。●そこでは当然、太平洋戦争の過酷な被害体験でさえも夢の中のようだし、そこにあったはずの生活実態ではないし、身の回りの住居のたたずまいや風景、親や友達の顔やしぐさ、あるいは生活用品などでもないのが恐ろしい。美しいもの、憧れるものはすべて目の前にないものだった。


それは、身近にない南仏や北イタリアやスイス辺りの湖水地方の風景や森、あるいは映画に見た男女、もっと幼ければ、かるたで見た、月夜のヴェニスで浮かれてゴンドラから水に堕ちるミッキーマウスなどである。
これに、アメリカのガラスと鉄骨だけの住宅やジープが付く。日本製で美しいと思ったのが、やはり零戦雷電紫電改といった戦闘機、それに戦艦大和だ(苦笑。ちなみにこれらの想い出は、例の拙著で大きく捉えている)。


ここにはどこにも現代の生活に繋がる実在性の高い美の想い出がない。こういうところから我々でさえ出発している訳だ。こんなところから、自分でさえ和の住まいの本質など知っていると言えるのだろうか、という気にもなってくる。確かに日本式住居に生まれ住んできたのだが、小学生のある頃に柱に白ペンキを塗って変えようとして親父にひどく怒られたような美意識だったのだ。
若い人には信じられないかもしれないが、こういう気づきの機会が無ければ、戦後には自国の文化への敬意や称賛を教える人や教育の場はほとんど無かったと言ってよく、僕らはそういう世界で育ってきたのだ。
ここでの引例は僭越かもしれないが、先の話の続きで言えば、人生の成長期にあっても、丹下健三でさえコルビジュエに衝撃を受けている。「輸入職業」と言った所以(ゆえん)である。
自分の内在性に、日本文化の原点に繋がるような体験や想い出がなく、ヨーロッパへの憧れしかないとするなら、僕自身が根無し草の日本人なのではないか、とも思えてくる。だから施主の意見をとことん聞いて、は当然で、もし「フランス式で」などと言われれば、残念とは思いつつも、よほどの理由がなければ追随してしてしまうのかもしれない。
何をもって日本美の原点としているのだろうかは、人生のある時点での反省や修復を経ているとは言え、自分にとっても大きな課題のままだと言うべきだろう。
(主題に繋がることが出てくれば続ける)










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