有為転変・国難が自分の問題なのか

【日記】


行き着いた自己の限界に見る精神の解放              


ここは旧軽井沢の一角の食事処。陽が沈み始め、高窓から見える空がどんどん暗くなる。
夕餉に、にしんと揚げなすの煮付け、それに「佐久の花」という冷酒で一杯。
今、この瞬間を、こう生きていること以外にどうすることもできないなら、これで満足するしかないのではないか。そんな気持ちに襲われる。


いつも何かに追いかけられている自分を知っている。こうするには、こうしなければならないという筋書きで頭がいっぱいになっている自分を知っている。従って意識にある事が常に方法論的だ。
そうだ、この言い方がすでにいつものパターン。できればこれを越えたい。
今、この瞬間に満足するということのうちに、いつも話題のグローバル人材になることなんて、氣にもしなくていいということであれば、わずかではあっても、国際金融資本家たちに太刀打ちできることになるのか。
こういう発想こそ越えなければならないけれど。


これも紹介されて読んだ本によると、このグローバル化にやっと耐えているのがロシアと日本だと言う。すなわち、こうして和膳にくつろいでいる瞬間がそれなのだろう。

この本の著者は言う。
「民主主義とは、大衆がそれと氣づかずに見えない機構によって支配されている体制」のことであり、「民主化した国は、『金』と『情報』によって支配することが容易になる」と。
このため「国際主義者にとって世界を民主化するメリットは、政治(大衆)を『金』と『情報』によって操作しやくすること」である。これがグローバリズムの本性であるという。(「国難の正体」馬淵睦夫・ビジネス社)


ほんのわずかの国際金融資本家たちによって、人類の未来も、個人的なこころの幸せも牛耳られている。
それは感じているし、身勝手に言えば知っているつもりだ。ただし、ここからは確認の話となる。



アメリカでさえも、国の方針は中央銀行システムの総称である連邦準備制度(同理事会が金融政策の策定や連邦準備銀行を統括する)に動かされているものの、その中核にいる人物たちはほとんどが巨大財閥の関係者だという。この著者は、以下に恐ろしいことを言う。


連邦準備制度のポイントは次の通りです。
第一に…通貨発行権など…の管理を、民間人が所有する銀行(連邦準備銀行)に(アメリカ政府が)渡してしまったこと。
第二は、(これらの銀行の)株主は民間銀行のみで、アメリカ政府は一株も所有できない。…理事会の議長、副議長、理事は大統領が上院の同意を得て任命することになってはいますが、事実上、大統領は理事会が推薦した人物に従う他はありません。
第三は、…アメリカ政府は金(ドル)を必要とする時は、財務省はドル印刷の許可を連邦準備銀行からもらわなければなりません。…財務省からみれば、印刷分のドルを連邦準備銀行から借金した形になる…。自分の国の通貨を印刷するのにアメリカ政府は連邦準備銀行の株主である民間銀行に借金をし、利子を払うのです…。政府の負債が金(マネー)を生むというのが、現代世界の錬金術なのです」
もっと恐ろしいのが、この民間銀行の所有者たちがほとんどユダヤ系であり、しかもイギリスの金融資本家を兼ねているということだ。これは確かに、すでに国を越えている。



ということで、また理屈ばかりの世界、どうすべきかと言う方法論の世界へ舞い戻ってしまった。
本当に、こんなこと言っていたって何も変えられるわけではない。そう思えば、功罪は別にして、吉田松蔭の血を呼ぶ覚悟の行動があったからこそ、倒幕そのものは成功したという主張も嘘ではないと思えてくる。


東京は、一昨日は強風、昨日は小雨で、桜も一気に見所を過ぎた。