「ヘテロトピア(混在郷)」への誘い

【論】


ヘテロトピア(混在郷)」への誘い
―「建築の堕天使」とは:イタリアの近現代建築評論家 M. タフーリのこと―  

Invitation to the “Heterotopia”                    
About Manfredo Tafuri: Italian critic for modern architecture                    



ここしばらく、一昨々日アップし紹介した岡田温司教授の理論の一部を追うことになってしまった。その魅力的なタイトルを持つ「イタリアン・セオリー」のせいでもあるが、その中に、この「建築の堕天使」というタイトルの一章があったからだ。
これは、あるイタリア人建築評論家の世界からみた現代に至る建築史観の紹介なのだが、他の章よりは何とか食い付けそうなので、ここから入るしかない。
60才にならずに亡くなったためもあってか、あまり知られていない(知らないのは僕だけか)ヴェネチア建築大学の建築史教授に招聘されたマンフレード・タフーリ(1935〜1994)の足跡であり、彼の仕事が「(それまで通用してきた)建築の歴史を破壊すること」だった、と教授は言う。(以下、「」は岡田教授の文章からの引用)


タフーリの研究家でもなく、著書も読んだことがない状態で、厚かましくも述べることは恥入るが、かと言って、感じたことを述べないことにも満足出来ない。ここで僕がしたいのは、岡田解釈を借りて自分の意見を言うということなのかも知れない。

一般の人にはどうでもいいことかも知れないが、しばらく前にこのブログで述べたニューヨークのマンハッタン島の現状と未来が教え、予測するものは、そのままこの章の問題意識に繋がるので、ぜひ関心を持って欲しいと思う。もちろん、あの喧噪と狂想と熱気がいいんだという人もいるだろう。そういう価値の集積を承知の上での展開となればと思っている。


マンハッタンの都市としての出来具合を、「新しい空間を創出するためのユートピア的公理」だったとして認めるのか、「自己充足で空虚な記号」として否定するか、というのが建築・都市文化批評の大きな争点であり、それがそのまま、近代以降のあらゆる建築・都市の歴史的評価問題に繋がってきたと言えよう。
それは「仲間うちのショービジネス」となった、経済発展としての建設を受け入れる建築家の現在に至る、時代性と合理精神を肯定するのか、それとも「個人から主体性を奪う」どころか、内在的な社会性も奪う資本主義、消費社会への疑問に繋がっているのか、ということになっていく。
このことは1920年代だったか、ル・コルビジュエによって建築を「住むための機械」と言われたが、現在に至って改めて問題とされている科学的合理精神万能への礼賛が、当時は現代とは違った意味で強烈にあったことを伺わせる。建築の構造体だけに限って言えば、例えばロンドン万博でクリスタル・パレス水晶宮)が出来たし(1851年)、エッフェル塔の建設(1889年)は、これらが鉄骨による近代構造の金字塔だとすれば、かなり前から近代化の成果への思いがあったのは確かだろう。その一方で、ウイリアム・モリスで紹介したと思うが、産業革命を越えつつあった最先端国イギリスでは1850年代にはすでに今で言う公害問題も起っていた。蒸気機関車の実用化がすでに1820年代には進んでいたことを思い出せば,近代化が一部の先覚者にとって時空を越えた大問題であるとの実感はこの百年は続いてきたと言える。
何とタフーリは、ピラネージという1760年代に活躍して銅版画でタワー、吊り橋、空中階段、空中桟橋などをごちゃごちゃと描き込んだ建築家の絵にまで戻って、この惨状とも夢とも言える光景を「喘ぎの経験」として論じている。
ローマに育ちヴェネツィアに生きたタフーリは、そこから見える対極的なマンハッタンの空間は非情で荒涼たるものとして否定する。さらに見えにくい経済合理主義への不安からも、建築の王道のように見られるつい過日までの楽観的建築史観への反逆を試みたのだろう。
実際にこの対立は視覚表徴的には単純に「デ・ステイル(及び構成主義)」と「ダダイズム」の対立のようなかたちになっていった。


しかし、もう少しこの対立論理を見据えると、それは近代が持った「断片を実体化し全体化してしまう危険」への問題提起であり、「合理性を発見しようとして非合理性にぶつかる」ことから、次第に「合理と非合理、秩序と無秩序、統一と分裂」という区別でなく、相互に乗り入れ「転倒可能性(入替えも出来る:大倉補注)」も視野に入れていったということもある。
ついでに言えば、ポストモダンに結びつく最近の二人の建築家、ルイス・カーンとロバート・ヴェンチューリの(比較上の対立についても)「それらは『近代建築の再興のための対立する二つの仮説』と見なすことが出来るが、どちらも『ノスタルジー』の産物にほかならない」と言っている。

このように実際、タフーリはただ単に反対のための反対を主張したのではない。
ある時期、タフーリは「否定的なユートピア」を、ピラネージの楽観と不安が同居するような表現に合わせて「ヘテロトピア(混在郷)」という言い方で言っているが、なかなか言い得て妙な言葉だと思われる。


なおここで、紹介論旨からは離れるがちょっと注意が必要なのは、タフーリが予感したにしても明確には捉えられなかったと推測されるオリエンタルの、つまり日本の、ある種の建築家が、ぶつかってきた『和のしつらえ』『薄明かり』『結界』『秘するが花』『流転』などに見る感覚世界の呼び込み問題もありそうだ。それはキリスト教の論理から発し、理性と反理性とに別れた思考線とは違った曖昧性を生きてきた上での『風土』『自然』『虚と実の飲込み』などを、すでに意識の内に取り込んでいただろうということだ。
ただし、ヨーロッパの近代建築思想をそのまま輸入して職業としてしまったことにより、日本の『建築家』はこの和魂を、法治上も、経済システムとしても育て上げることが出来なかった。というより近代化の波に国自体が飲み込まれてしまい、感性としての個人を思想的に独立して評価出来るような土壌が育たなかったというべきか。


このことから、岡田解読からはタフーリにもちょっと読み込めないが、別建てで論じて貰いたかった近代経済社会の把握の問題もある。
そのことは和洋を含めて、建築家やその種の評論家では、近代経済の発展がもたらした功罪を視野に入れて独自に建築史観を考察するという思考地盤も弱かったことが感じられる。従って今なら『建築家にとっても、ヨーロッパ型精神の行き詰まりもあって、人間らしい生活のための活路の発見に通ずるかくかくの仕組みが、グローバリズムに対向する資本主義経済の新しい対応の中で求められている』というような提案も、タフーリに限らず、2015年の現在に至っても和洋共に、提案出来る建築家はもちろん評論家にもいないようだ、という現実が感じられるのだ。


タフーリの積極性は「限界の思考」にあると岡田教授は言う。「言語の可能性/不可能性を極限にまで突き詰める。それは文字通りの言語でもあれば、建築言語という意味での言語である」と。
そこからタフーリの本性を言い表すために教授は、「限界はまた境界のことでもある」としてイタリア語の『コンフィーネ』(境界)という言葉を持ち出す。この語はラテン語に戻すと「『限界、目的(フィニス)』を『ともに(コン)』するということを意味している」。
確かにイタリア語でフィーネは『終わり』であるから、『終わり部分を一緒に』という実感は受け入れられる。
「境界こそ、むしろ場の本質をなすものであり、みずからを否定し、みずからの限界を経験する場であると同時に、他者との関係や接触に開かれた場でもある……それゆえ、いかなる境界も場を閉じることはできない…建築とその限界、言語とその限界、まさにそこにわれわれの堕天使はその鋭い眼差しを注ぎ続けたのである」


これでお判り頂けるだろうか。言語で語られた建築、と言わず、あらゆる視覚表現に関わる創造行為が、それはそれで『いかに言葉の世界であるか』が。
教授はここまでタフーリを読み込んだ。タフーリがいかに現代建築の危機を深く理解し、それでいてなお議論の余地を残していることも教えてくれた。という意味で、この章はタフーリという評論家の人間像観察であり、主義が言葉として定着し、それに動かされる時代背景の歴史的考察である。そこには多面性や感覚的な人間性に理解の深いイタリアンの物腰も感じ取れてくる。
だがこの理解から、現時点での言葉になる自分の設計への理念が生まれるかと言えば、残念ながらそれはない。ここで言うべきことではないだろうが…。





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