デュシャンの教え●

【日記】  記述は17日(月)にまで亘る。



敗戦の日から70年。一般に終戦と言うが敗戦と言うべきだろう。「敗戦記念日」とは言いにくいが。

我々は敗戦からの70年をどう思うかというより、瓦礫の中を食うためだけに生き延びて始まった戦後の価値感と、現在の価値感の大きな差に打ちひしがれているのが実情だ。
道徳的な問題や一般的な経済的価値への視線はもちろんあるが、特に気になるのが、自己の職業から来ることもあり、モノ余りの時代の価値感のことだ。


「断捨離」という言葉が流行り、いかに捨てるかが大きな話題になっているが、このことが当面の最大の悩みのひとつだ。
戦後のモノが無い時代には、何でもとっておく意味があったし、新しい生活物資が常に求められていた。
我々子供には、とっておくものなどほとんど無かったわけだから、不足も充足もあまり意識の中に無かったと言ってよい。父親が一生懸命集めた本も、こんなに少ないのでは人に見せられないなどと思っていた。
しかし在欧中の10年の間にそれとなく仕舞っておいたモノが、帰国後、ゴミとして出されてしまったことが判った時のショックは忘れられない。親が親戚筋の廃棄業者に頼み、不要な家財を捨てた時に、実家の縁側の下に入れてあった建築模型も捨てられたのだ。

こんな小さなことがショックなら、モノに生き、モノに支えられてきたと言ってもいい我々の職業の、モノ溢れが真の問題になることが実感できた、この超高齢化社会でのこの国の実情はどう考え扱ったらいいのだろうか。


「どんどん捨てないと、後で業者に頼むのに大変な経費が掛かるのよ。後に残る者に過剰な負担を掛けないようにして頂戴」というのは、高齢に差し掛かった少なからぬ亭主どもが日ごろ、奥方などから受けている脅迫だろう(それとも僕だけか)。実際、他人事ではなく、どんどん溜りこそすれ一向に捨てられない資料や仕事の残品を見て、自分でも恐怖感を抱いているのもまた事実だ。
モノには命が宿るという言い方の内に、古来の日本人だけでなく現代の日本人にも通じるものがあると考えるのは、我々のような職業に就く者だけの偏向した考えか。
「捨てるのが正しい」という考えは、明らかに高度成長期を経てモノ溢れになってきてからの考えだ。また「自分のものは自分で始末する」というのも、モノ溢れにになってきてからの考え。父親などを見ていると、明らかに家財を残すのは子供のため、不要なものの整理も子供たちがやってくれると信じて疑わなかった様子が見て取れたし、子供の方もそれを疑わなかった。それが今では全く無効になっている。
もっとも「断捨離」よろしく、いささぎよく捨てている御仁もいるだろう。でも、自分に限っては、全くの脱落生だ。


普通の人なら考えないようなことが気になって捨てられなくなる。例えば、いい例が気に入った家庭電器製品やインテリア小物。これらは元が自分の職業そのものであったから、気に入ったモノは誰かがデザインしていることが判るし、どこに力点を置いたか、何に苦しんだか、商品のディテールに至るまでの解決法のレベルまでが判ってしまう。このため技術的性能は別にして、感心する全体や部分があるとそのことでもったいなくなって捨てられなくなってしまうのだ。また関わってきた団体JIDAがこのような商品をコレクションしていて、それを応援する立場にもある。
技術的性能は別ということは、壊れた機械製品、電化製品でもいいということになる。そこで大きなテレビなどはとても無理だし魅力も少ないが、何とか手元に置いておきたい小物、例えばポータブル・ラジオとか照明器具、置時計などが捨てられなくなってしまう。これまでは少なくとも、これらを「進んで蒐集はしない。何らかの縁で自分のモノになったり、実際に買って使ったものだけ」という勝手な条件でやってきた。
そういえばもっと小物もある。腕時計やサングラス、万年筆、ペーパー・カッターとか。こうなってくると比較的コレクターもいそうだが、前述のとおり必ずしもブランドものではない。結局こういうものを見ていると家内などは、ゴミにしか見えないのもわかる。
ブリキの玩具集めとか、切手やラベルのコレクション、クラシック・レコードなどの蒐集は知られていて、「1テーマ主義」や貨幣交換性が評価の軸になっているようだが、「造形や機能におけるクリエイティブ性」などという軸は誰も関心ないか知らないようだ。とは言え、そういう判断軸を持っていても生きがいと思って進んでコレクションしているわけでもない。
この感じ方を深めると、近代アートにおいて「不要なものに見出す美」が発見されたように、日常生活の思わぬ面で「おや、美しい」と思うものも捨てられなくなる。
マルセル・デュシャンが捨てられた男子用小便器を寝かせて匿名でサインし、展覧会に出品し物騒をかもした事件は今では語り草になっているが、このあたりにある意味で原点がある。また大ガラスに演奏用ドラムの絵などを描き、これも展覧会場に運ぶ時にガラスが割れ、それを喜んだというがそれもよく判る。ただし彼は便器を美しいと思ったからではなく、まずは芸術への懐疑を公の場でぶちまけるために便器を選んだはず、ということは知っておく必要がありそうだ。そしてそれがコピーされることを認めている。


僕が捨てられないのは芸術への抗議などという社会的なものではない。もうその時代は終わった。すべての芸術は解体し、個人の勝手な芸術観に任されているのだ。そうではなく、美が永遠であるとする以上、美しいと思ったものは永遠であると感じるから捨てられないのだ。
サラリーマン時代に、ステレオ・キャビネット塗装用の作業室でいつも感心していたのは、後から後から塗り上げたキャビネットや電気製品サンプルの塗り後の塗装台や壁に残された偶然の「塗り残し」の美しさだった。このような美に気づいて、キャンバスにスプレーで色を吹き付け、得体の知れない画像を生み出す芸術家は今や、あまたいる。
そうなると、まさにゴミの中に美が見えてしまう。南仏に移ったピカソは、海岸散歩で石ころや魚の骨などを拾ってくるため、ポケットはいつも満杯だったとか。そういえば自転車のハンドルを牛の角に、サドルを頭に仕立てた作品があった。こちらは拾いはしないが、届いたものや実家から引きついだものの中に光るものがあると捨てられなくなる。菓子のケースやその飾り紐、心のこもった包装紙や手提げ紐付きの袋。こうなるとグラフィック・デザインへの関心となる。面白いのは、菓子そのもののように食べられることが幸せであるようなものにはまり関心がなく(腐るから当然か)、何らかの機能があって工場生産され、捨てられる方に気が向く。あまりにも綺麗な化粧ビンやケースも、特に着色や成形法などに新機軸が見えると、これは何かの新商品に使えるなどと思ってしまう。さすがにペットの縫いぐるみなどには関心が無いが(笑)、それでもマサル(柴犬)を飼っていたこともあって、ショップなどで犬の縫いぐるみなどを見ると、つい視線が向いてしまうようになった。これは美の保存の談義ではない余談だが。


もう一つ捨てられない分野の議論がある。書物と関連資料だ。本や雑誌のことは誰にでも判るから関連資料の話を。
これにも二通りあって、一つは関心を持った記事の切り抜きなどのストック。参考資料というわけで、専門書の部類もここに入るか。捨てる本や雑誌、新聞などからの切り抜きや部分保存がいつの間にかかなりの量になってしまったが、データファイルしてあるわけではないので、結局気休めだ。もう一つが自分の仕事や描いたり、書いたりしたものの資料。これが膨大。
聞く方もうんざりするだろうし、ここでこれ以上書く気もないが、要はどこまで「断捨離」するかという問題。子供に任せるのが残酷だと思われる時代になって、どう整理するかが最大の難問の一つになってきている。


デュシャンは30才頃からほとんど絵も作品も創らなくなって、チェスばかりやっていた。そういえば現代の「ゴミ作家」として忘れられないのがヨーゼフ・ボイスだが、彼はデュシャンのこの沈黙を「過大に評価されている」と言っているそうだ(このことはWikipediaによる)。
永遠に残る作品(!)が創れるのでなければ、あらゆる創造行為は無為となる。能力もないのに無駄なものばかり作って何の役に立つ?とは十分聞いてきた言葉だ。そこまで到達できない凡人ということもあるが、歴史の変曲点にあるゆえの膨大なデータの上に立ってそれを読み込まねばならず、そこから表現もしたいとなればこそ、自己流の「断捨離」に苦しむことになる、というのはやはり身の程知らずということか。
(記事にするだけの意味ある内容がまとまるなり思いつけば後述する。あるいは別の日程に記載する)







・pv242222/20150822/16:30